贈り物―「まごころ」を籠める―

 
私たちは折にふれて親しい人や世話になった人に贈り物をします。その時、「まごころを籠める」ということに心がけます。廣池千九郎博士も贈り物をしています。その贈り方は大変示唆に富んだものです。

 昭和二年六月、廣池博士は群馬県の新鹿沢温泉で研究と療養をかねて滞在していました。その時、完成したばかりの『道徳科学の論文』(謄写版)を携えて新渡戸稲造博士の別荘を訪問しました。『道徳科学の論文』の序文を依頼するためでした。
 その際、博士は群馬県特産の栗を持参しました。そして、随行の婦人に先方へ栗ご飯の炊き方を話してくるように命じました。随行の婦人が「栗ご飯の炊き方」をお教えしたい旨を申し出ると、新渡戸博士は「よく聞かせていただきなさい」と言われ、付き添いの婦人方を集めたそうです。
 そこで随行の婦人は廣池博士から教えたもらった通りに栗ごはんの炊き方を説明しました。すると新渡戸博士は「ずいぶん、あちこちからいろいろなお土産をいただきますが、栗ごはんの炊き方まで教えてくださったのは今回が初めてです。いまだかつてこういうことは一度もありませんでした」と言い、大変感心していたそうです。

 廣池博士自身、群馬の栗ご飯を何度となく賞味し、その美味しさをあじわっていたからこそ、その「味」を新渡戸博士に贈りたいと思い、栗を持参したのです。そして、調理法を示し、自分が味わったのと同じ美味しさを味わっていただきたいという心を添えたのです。贈る人のまごころは、贈り物が食材であるならば、それを味わうときに感じ取るものです。とすれば、調理法こそ、贈る人の「まごころ」を伝える大切な贈り物なのです。

 廣池博士が新渡戸博士を訪問したときに手土産として栗を持参したのは相手の方への敬意の表現であり、栗ご飯の炊き方を示したのは自らのまごころを相手の方に伝えるためであったのです。

                               (文責 井出 元)