「今は亡き廣池千英先生を偲ぶ」

昭和43年 8月18日18時25分

   

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 昭和43年、第6回教育者研究会のため瑞浪に行 かれたのが、最後となりました。
 教育者の皆さんに挨拶をするのだと、楽しみにされ ていましたが、その挨拶もできないほど、疲れられて いました。
 しかし、最後の最後まで、教育のため、国のために 尽くされた一生でした。
 
 8月18日18時25分、ご逝去されてから早いもので 37年が経ちます。

 私たち29期生の高校時代、常に慈愛で接していた だき、思い出が沢山ありすぎます。
 
  入学式のこと、運動会で最終ランナーと一緒にグラ ンドを一周されたこと。
 卒業式での力強い激励の言葉・・・・
  (後に伝え聞いたところによりますと、私たち高校生
  への校長講話に臨む際も、一切手抜きをせず原稿
  を何度も推敲され、当日の食事にも配慮されておら
  れたとのことです)

 「日本を救うのは日本人であります」
 この言葉が、37年経った今でも耳に響いています。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。
                            高柳 達雄 
 
 まこちゃんありがとう。長い間、ご命日に、
思い出をアップしてくださり有難うございます。
皆の返信ないときは寂しい思いもされたでしょうが、
めげずにアップし続けてくださり心より感謝しています。
今後もよろしくお願いします。
今でも千英先生は私達世代の心の中に生き続けてくださっていますね。
先生ご逝去の大学3年生の夏休みは、井出にとっても、忘れ得ぬ思い出の夏となりました。現役大学生だった元に、大学院審査論文を麗澤館で書くことを許可。勉強中でした。
先生が瑞浪に出かけられる朝、車を待たせたまま、戻ってきて玄関で、いきなり「君はたばこは何を吸っていますか?」「ハイライトです」の会話の後、いきなり「これをあげよう」と懐からパイプを手に渡して下さったそうですそのお見送りが先生との最後のお別れになりました。
短い時間で人をみるのではなく、生涯教育のなかで育てる心を教えてくださっていた先生の心がしっかりとしみわたり、今日まで、教育に携わっています。
命日の我が家のご仏壇には先生のパイプをお供えしております。
                             井出 智子
 智ちゃん、千英先生への素晴らしいコメント、有難うございました??
また、私へも優しいお心遣い有難う??
大丈夫ですよ。皆さんが、「あっ、今日だったのか」と、思い出して下されば、それが亡くなられた方々への何よりの御供養になるかと、それだけです。

ただ、年を重ねるとその方のイメージを膨らませるコメントがネタ切れで?なかなか書けなくて、、、

今日のように思い出を(大切な思い出だと思いますが)思い出を話して頂くと、千英先生が一層リアルに身近に感じられます。皆さんもそうだと、思います。
本当に有難うございました??????
 私にとって忘れられない思い出は、亡くなられた日何の為に研究所に立ちよったのか
忘れましたが、あまりの静けさに何があったか?と高校の教務課に足を運んだところ、
千英先生の訃報を知りました。通夜を現第2体育館にて執り行われると知り、
教務にいた坂田さんの勧めもあり、通夜の席で棺のそばで一晩中居させていただきました。
余談ですが、千太郎先生の亡くなられた日も、偶然にも研究所に出掛けていて、
二代続けての葬儀に出会うことになり、冗談で横田は出入り禁止と言われました。 横田安男