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「今は亡き恩師、友を偲ぶ」
もし写真などお持ちの場合は下記にぜひ送って下さい、
容量が大きい場合は下記にお願いします。
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| 母弘瀬純子(旧姓:野見山)儀、かねて病気療養中のところ11月17日永眠致しました。
原発部位不明の癌性腹膜炎でした。 医師に余命を告げられても自身の回復を疑わず、来年の同窓会にて皆様にお会いすることを楽しみにしておりました。 葬儀は近親者にて滞りなく相済ませました。 ここに故人が生前中賜りましたご厚誼を深謝し衷心より御礼申し上げます。 平成25年11月23日 弘瀬 里美 |
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弘瀬里美様へ!同窓会前に、オーガニックマーケットを立ち上げて詳しい彼女の素敵なイラストいりの案内書を頂き凄いパワーに、感心して、お体をお尋ねしたときは、大丈夫と逆に励まされました。
彼女の沢山の仲間の方々にも、希望の星であられて皆様お力落としとお察しいたします。大好きな旦那様、美人のお嬢様には、彼女の魂を大切に生きられた感謝を送りだいと存じます!彼女らしくいきれましたね!感謝です!突然のおわかれはつきません! ご冥福をお祈りいたします!姫路より寺西妙子 |
| 寺西妙子様 お心遣いありがとうございます。 最期まで母らしく、持てるパワーの全てを惜しまず費やしました。 キャンサーズギフト「ガンからの贈り物」と言う言葉がございます。 ガンになることで見えてくることや感じること、家族や人とのつながりや優しさ、 時間や毎日当たり前に繰り返される日常への感謝・・・など ガンになることによって贈られた色々なことに気づくという意味です。 お手紙やお電話を下さる皆様に感謝し、幸福を感じながらの療養生活でございました。 ありがとうございました。 弘瀬里美 |
| 弘瀬 里美
様 お母様のご逝去の報せに接し、慎んでお悔やみ申し上げます。 10月17日付けのお手紙で、初めて闘病中であることを知りました。 大変な病気の中、「回復するという希望は全然捨てていません」という文に、 必ず治り、またお会いできることを信じておりました。残念です。 でも、お母様はご自身の夢の実現に全力で向かって、素晴らしい人生を送られました。 これからは、天国でゆっくり休まれ、ご家族の皆様を見守ってくだされることでしょう。 私たち29期皆の心の中にも、お母様は永遠に生き続いています。 合掌 高柳 達雄 拝 |
| 高柳
達雄 様 暖かいお言葉をありがとうございます。 母も私共家族も、回復することを信じておりました。 生前全力投球だった分、今後はゆっくり過ごして欲しいと思っております。 29期の皆様のますますのご活躍を心よりお祈り申し上げます。 弘瀬里美 |
| 29期、西宮在住の新居(あらい)です。 寮長同士で、彼女とは ミュージカル映画 Sound of Music のことで思い出があります。 つい少し前に、野見山さんのマーケットHPに投稿したのに返信もらい、何か告げようという文面が気になっていました。 現役最後の5年間に、太陽電池の工事で何度も須崎市と高知市に行きながら、とうとう 声もかけられなかったのが、今となっては悔やまれます。 僕たち同窓生がみんな、彼女のことを忘れないでいることで、彼女のあの、とっても美しい日本語の文字を書く、男子だけの剣道部に一人入部して最後までやりとおした、そして、渡米前に一度、香椎のご自宅にお邪魔して、念願のおきゅうと をごちそうになった時の ほほえみ なんかを決して忘れないでいようと思っています。 email: niijuku@gmail.com |
| 同窓会お折り、初めて彼女の病気のことを知りました。 お元気になれば、またお会いできる!そんな思いで、報を聞いておりました。 思いがけない報にびっくりしました。心より哀悼の意をささげます。 お嬢様の里美さん、何歳になられるのでしょうか? 私たちがともに過ごした年齢をとうに越えていらっしゃるかと思います。 里美さんがお書きになっている『キャンサーズギフト「ガンからの贈り物」と言う言葉がございます。ガンになることで見えてくることや感じること、家族や人とのつながりや優しさ、 時間や毎日当たり前に繰り返される日常への感謝・・・など』里美さんはお母様とともに最後に貴重な時をを分かち合われたことと存じます。 その昔、彼女は若くして亡くなられた弟さんを見送るという数々の思いをしてきました。 ご両親(里美さんの祖父母)の野見山さんのお顔も浮かんできます。 同じ福岡の出身でしたので、八女の私の実家へも、彼女の香椎の実家へも行き来した昔が懐かしいです。後半の彼女の高知での人生をほとんど知りません。 年を重ねて、やっと語り合えることもあったのにと残念です。とても残念です。 『純ちゃんやすらかに』 ☆Tomoko Ide |
| 弘瀬里美様 同級生の玉井順子(旧姓 徳田)です。久しぶりにメールを開き お母様のご逝去を知り、驚いています。 同窓会で純ちゃんの体調不全を 知りました。 病状もわからず、どうなさっているのかと・・・・・・ 高校卒業後、何度か学園に来られた時は一緒に食事をして、よく恋愛談義をしました。 結婚なさってからはお会いする機会がなく、メールで純ちゃんの有機農業のことを知り 頑張ってるんだなあと思っていました。 鉄砲玉のように言葉が飛び出てくる純チャンを 思い浮かべながら、今ならどんな話ができるのかなあと・・・ 私の心には、二十代の純ちゃんがいます。 心よりお悔やみ申し上げます 玉井順子 |
| 玉井
順子様 御心のこもったお悔やみのお言葉をありがとうございます。 20代の母を御心に留めていただいて、母はとても喜んでいると思います。 年齢より若く、健康に見られることを喜ぶ母でしたので… 私の中で、たった10ヶ月間の闘病中の母の記憶が濃く、元気な頃の母が薄くなっており、とても寂しく思っております。 ご存知の通り、母は楽しいことをおしゃべりすることが大好きでした。 たったの66年では、しゃべり足らなかったことと思います。 元気な母を憶えていて下さり、改めて厚く御礼申し上げます。 寒さ厳しい折から、どうぞお体ご自愛くださいませ。 弘瀬里美 |
| 11月27日、観音寺の長谷川君と近藤で29期代表の気持ちで、弘瀬純子さん のご霊前にお参りして来ました。 ご主人豊秀さんと2時間ほど病気の状況や学園での事、いろいろ昔の話、出来事 を純子さんを偲びながら過ごし ました。純子さんは病気になっても、自分の信念で癌を克服する気概を感じまし た。先回の同窓会にも、絶対に、 治して出席したい気持ちで、病気と向き合っていたと聞きました。純子さんに学 ぶことはたくさんありました。残念です。 長谷川君との帰路色々の昔話を、おやじギャグを交えて語り、讃岐うどんをご馳 走になり、観音寺のもう一人同期横田君に挨拶してから、家路につきました。 報告は以上ですが、なぜ名古屋の近藤が高知まで行ったのか? 僕と純チャン(以下こう呼びます)とは学校時代はあまり思い出がなく、仲良くなったのは最近です。6年前2007年、定年も近い頃、茂ちゃんと妙チャンに純ちゃんが高知で農業してるから、暇だったら行かないかと誘われたのがきっかけです。 出かけたのが日曜市で、高知城の前の道路で小さく区切った店の中で、純チャンが有機野菜や自家製の梅干を売っている姿は、すごくキラキラしていました。ご主人と農業の世界に入り協力して少し先が見えかけた頃か、少し自信が感じられました。泊めていただき翌日、観音寺で横田君、長谷川君、小笠原君と含めて7名でミニ同窓会をしました。非常にたのしいひとときでした。 その後、四国のお遍路ついて興味が湧いて、高知に着いたとき純チャンに泊めてもらい、ご主人と水田の草の処理のお手伝いを少ししました。2度も厄介になり、大変お世話にな りました。 最後に、純チャンは竹内まりやの’人生の扉’という曲が好きと言っていました。 ’ひとりひとり 愛する人たちの為に 生きて行きたいよ’という歌詞の中に純チャンの想いが表現されていたと感じました 愛する人たちと共に努力した有機農業の精神は、引き継いでいただけるよう願っております。 |
| 近藤君、長谷川君には、純ちゃんへのお参りありがとうございました。あれから、7年もすぎたのですね!じゅんちゃんが、クロワッサンの本に記載され梅干しを料理の先生がほめてくれて・・・とモンペネコのニックネームつけて、エコバックもアイデヤいっぱいでねキラキラしてたねもう訃報をきいてからは、たのしかった高知旅がグルグル〓してせまってきてます!わたしたちは、三年間兄弟やいとこのように思い出いっぱい詰め込んで育ってきました。彼女が、同窓会前に、4・5人に手紙を出してから、入院したんやね。オーガニックマーケットの地図と欠席近況報告でした。寺西妙子より |
| 本日、広瀬豊秀さんから喪中が届きました。 純ちゃんが亡くなってしまったという現実を受け入れざるを得なくなりました。 純ちゃんとは30代のころ学園での同窓会でお会いしたのが最後でした。 その時はお互いにまだ若く夢一杯でした。 その後も彼女は夢を追い続けていたように思います。 しかし、夢はまだ完結してなかったのではと感じています。 お嬢さんがメールの中で 「医師に余命を告げられても自身の回復を疑わず来年の同窓会にて皆様にお会いする ことを楽しみにしておりました。」という文章が心に染みています。 純ちゃんどうか安らかにおねむり下さい。お祈り申し上げます。 柏 井上久美子 |
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みなさん、こんばんは
敬子ちゃん(増田さん)、永原さん、ようこそメーリングへ♪
近況などお知らせくださいね。
純ちゃんが逝ってしまって今日でちょうど一ヶ月が経ちました、、、
あの日のショックからすこしずつ立ち直りつつあります。
彼女がオーガニックマーケットを始めて間もない頃(今の場所に移転する前)、
電話をくれた事がありました。その時、このマーケットにかける思いを
活き活きと話していた声を今も忘れることが出来ません。
年賀状にも「自分のやりたかった事が見つかって幸せです」とあったのに、、、
「弘瀬純子」をネットで検索すると多くの記事が出てきます。
オーガニックマーケットに関連するものです。
マーケットのHPには、設立の趣旨が書かれています。
彼女がどんなに大きな業績を残したかが、垣間見られますので、 お時間があればぜひ閲覧してみてください。
その中に、高知新聞に掲載された「小さな経済を回すオーガニック
マーケット代表 弘瀬純子さん」という記事があり、なつかしい純ちゃんの
写真が出ていました。
麦わら帽子がよく似合っていました。
下の写真は彼女が始めたオーガニックマーケットの5周年のポスターです。 出店しているお店が、細かく描かれています。
![]() 彼女のお店は No 01 「でくのぼう農園」上から3段目の左端にあります。
エプロン姿が純ちゃんで、奥にいらっしゃるのがご主人でしょう。
ひとりの夢から始まったこのオーガニックマーケットは、国内でのこの種のマーケットの
草分け的な存在でかつ最大の規模になっています。
あるブログには「弘瀬さんがいなければ、このマーケット自体生まれていない」と書かれていました。 ここまでに成長するには、様々な困難もあったようですが、それをご夫婦で協力しあってひとつひとつ克服されてきたのです。
純ちゃん、すごいね!頑張ったね! 今、玄関の横に飾ってあるこのポスターを見ていると、胸がいっぱいになります。 彼女の子どもとも言えるのではないでしょうか。
思い出すのは元気で明るかった彼女の姿。頑張り屋さんの純ちゃんに肖って 私も「今日一日頑張ろう!」という気になります。 純ちゃん、本当にお疲れ様でした。 ゆっくり休んでね、、、、 鎌田 雅子
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| 2011年10月四国湯元ことひら温泉「琴参閣での同窓会にて |