2004.7.9 02:16
女の先生の中で一番憧れていた素敵な方でした。
今からおもえば女手ひとでよくよく人生をこえられあの優しいお声で
またお話を 聞きたいと おもっているのは私だけでは無いとおもいます!
有難うございましたご冥福をお祈り致します!
寺西妙子より
2004.7.9 09:59
高校生の時には家庭科を教えていただきましたが、
卒業後思いがけず3年間高校の寮で寮助手としてお世話になりました。
そのときサワ子先生には色々なことを教えていただきました、
御自宅に伺うこともしばしばあり、その時の印象からも
やさしく穏やかで素敵な女性と尊敬していました。
何年前でしょうか、学園でお目にかかったときもとても素敵に年を重ねてみえて
こんな風に私も・・・・・・・と思いました。
先生からいただいた着物姿の写真を、拝見しながら思い出しています。
サワ子先生の御冥福をお祈りいたします。
小川 純子
2004.7.9 15:45
昨晩、廣池幹堂理事長は、池田サハ子先生と最後のお別れをされました。
(今晩が通夜ですが、北海道訪問のため)
サハ子先生は、麗澤館と縁が深く、理事長の念いも大きかったです。
サハ子先生は、川崎で長男、貫太郎さんの家族と一緒に住んでおられました。
そこは、東名川崎インターの近くとは思えない、緑に囲まれたところです。
私も、麗澤館を代表してお供し、お別れすることが出来ました。
サハ子先生は、生前と変わらず優しさと上品さを浮べたお顔でしたよ。
喪主で長男の貫太郎さんから、様子を伺うことができました。
4月の半ばにお腹にしこりがあると、本人が気づかれ、念のため病院で
検査したところ、肝臓に3箇所癌が発生しており、せいぜいあと3週間く
らいと言われたそうです。(本人は知りません)
そこで、高齢ということもあり、手術はせずに自然に任されたそうです。
本人は、ただの「おでき」だと思っておられ、最後まで痛みも感じられなく、
食事も、量は普通より少なめですが、しっかりと食べておられました。
初めに3週間くらいと言われたのが、結局3ヶ月近くゆったりと残った貴重
な時間を過ごすことができたとのことでした。
また、貫太郎さんによると、川崎でのサワ子先生は、社交ダンスに通われ、
ご家族とカラオケにも時々行かれたそうです。
毎年「伝統の日」は、必ず麗澤館で過ごされていましたが、最近でも姿勢が
よっかたのは、社交ダンスによるところもあったのでしょうか。
素敵な晩年を過ごされていましたね。
ご冥福をお祈りいたします。
高柳達雄より
2004.7.9 22:44
酷暑ですね。梅雨はあけたのかな?
この暑さの中、次々と訃報が入ってきました。
池田サハ子先生のご冥福をお祈りしております。
麗澤29期として御霊前を供えさせて頂きます。
先生とは8年程前まで、ご一緒に、読書会や古典を読む会などを
長尾先生とご一緒に楽しんでおりました。
いつも凛としていらした高校時代の先生とはまた別の少し可愛らしい
一面を見せて頂いたり、ご一緒に新年会をしたり、先生の老後に
少しだけ係わらせて頂きました。
その後、私は畑毛の父の様態が重くなり、畑毛に居ることが多くなり
お会いする機会が少なくなりました。
横浜在住から川崎へ移動なさってから、少しお身体に変調のご様子でした。
昨年、お手紙やお電話でお話をしましたが、静かな暮らしをしております。
と語っておられました。
同じ福岡出身ということで、松浦勝次郎先生のお母様やサハ子先生の
お母様に高校時代よりお世話になりました。
サハ子先生、ちょっと恥じらいながら、ご主人のお話を聞かせてくださった
のが昨日のことのようです。
また一人、お別れです。サハ子先生安らかに・・・
☆Tomoko Ide☆
今日は、サハ子先生のご命日です。
早いもので、もう一年が過ぎてしまいました。
私達の在学中は、家庭科の先生として、その後は
寮主任として、ご活躍なさいました。
素晴らしい女性として、いつまでも私達の心に生き続けて
いらっしゃいます。
ご冥福をお祈りいたします。
鎌田 雅子
2004年7月13日 15:50
7月10日の池田サワ子先生の葬儀・告別式における、喪主池田貫太郎様のご挨拶
を全文紹介します。
御挨拶 本日は御忙しいところ、そして暑さの中、母の葬儀に足を御運び下さり、誠に有り
難うござ いました。また、ご鄭重なる、ご弔意並びに御芳志を賜りまして、厚く御礼申し上
げます。
今年4月はじめ頃より急に「お腹の真ん中が硬い感じがする」と言い4月14日、
近所の医師に診察してもらったところ、肝臓癌の疑いがあると診察されました。
聖マリアンナ医科大学病院で、精密検査の結果、肝臓の中に5センチ程の癌が3つ
見つかり、すでに肝臓は癌で埋まっておりました。
約12日間のベッド待ちを経て、4月26日より入院いたしました。入院間際まで
毎日、自宅で握り寿司を8カンずつも食せるほどの元気さで居た事は、主治医を驚かせまし
た。
入院時、余命一ヶ月と宣告されましたが、大正生まれの母は実に最期までしっかり
と命を灯し続け、去る7月6日午後10時42分、病院にて静かに息をひきとりました。
病名は、肝細胞癌でした。
6月25日迄の、二ヶ月間、妻の持参したソーメンとリンゴジュースを、一日もか
かさず「ママ、おいしい!」と食しておりました。
また、母の入院中多くの方々から御見舞いの申し入れを頂きましたが、母の強い要
望で、「この暑さの中遠路より、ご迷惑をおかけしては申し訳ないので御断りして欲しい」と
言われており、皆様には大変失礼した事を、この場をお借りして御詫び申し上げます。
私が4歳、弟が2歳のとき、父と死別した母は、多くの苦楽を味わい、乗り越えて
来ました。
そんな中でも人を疑うということを決してしない母でした。
「お腹におできが出来た」と告げる家族の言葉をそのまま信じ、旅立ちました。
23年前より私達と同居し、カラオケや社交ダンスに興じ、晩年は写経をしたり、
文鳥の世話をしたり、そして妻と一緒にテレビの旅番組を見るのをことのほか楽しみに過ごせ
た母は、幸せ者ではなかったかと息子として慰められております。
母の生前を振り返り、広池家、麗沢関係の諸先生方、そして友人、知人、卒業生の
皆様方の多くの支えを頂き、これまで沢山の幸せを頂戴できました事、深く感謝致すと共に、厚
く御礼申し上げます。
本当に有り難うございました。
これからは家族一同、力を合わせて母の遺志を受け継いで行きたいと思います。
これ迄同様、皆様の御指導と御鞭撻をお願い致しまして、御礼の御挨拶とさせて頂
きます。本日は誠に有り難うございました。
喪主 池田貫太郎