| こんにちは、栗林です。 平成22、12,10 【小栗上野介展】 遣米使節150周年を記念して企画された徳川幕府の幕臣・小栗 上野介にスポット当てた「小栗上野介展」を見てきましたので その人となりをご紹介させて頂きます。今回は撮影禁止でない ので展示物を色々撮ってきました。下部に添付してみます。 先日終了したNHK大河ドラマ「龍馬伝」、引き続き放映され る「坂の上の雲 第2部」に描かれる幕末から明治期における 近代日本の礎を築いた日本人の壮大なるドラマを興味深くご覧 なっている方も大勢いるかと思います。 小栗は龍馬伝の中でも登場しましたが勝海舟のライバルとし て度々描かれています。幕府から日米修好通商条約批准書交換 などの命を受け、1860年遣米使節目付として主船アメリカ 軍艦ポウハタン号に乗り込み渡米、その時勝海舟・福沢諭吉・ ジョン万次郎等が乗船したお馴染咸臨丸が随船(お供・護衛) として行っています。 米国で大歓迎を受けた後小栗は、ヨーロッパ・アフリカ・アジ アと巡り西洋列強の本質と脅威をみて、その後の日本近代化工 業化への目を開いたとも言われています。 帰国後その見聞を活かし、外国奉行、勘定奉行、海軍奉行、陸 軍奉行、歩兵奉行等々要職を兼任、また、ワシントン海軍造船 所の見学を活かした横須賀造船所建設、日本初の株式会社(兵 庫商社・築地ホテル・船会社)の設立、新聞発行の提唱、鉄道 開設、森林保護、郵便電信制度設立、郡県制度、ガス灯設置、 中央銀行設立など、その先見性と実行力で日本近代化に取り組 みました。 「明治の近代化は小栗上野介の敷いたレールの上になされた。 」「国家改造の設計者・明治の父」と『明治という国家』(司 馬遼太郎著)で称えられています。 して、その後開国・尊王・攘夷ご存知幕末動乱期を迎えること になります。 同時期の幕臣、勝海舟と小栗上野介。 幕府崩壊後の二人の運命の違いは、海舟は江戸を救ったヒーロ ーとして歴史に名を残し。 小栗は罷免されて領地である上野国(群馬県)群馬郡権田村( 高崎市倉渕町権田)に隠遁、東善寺を住まいとし学問塾の師事 や水田整備、用水路建設の日々を送っていましたが、薩長軍の 追討令に対して、武装解除に応じ、さらに養子の又市を証人と して差し出し、敵意の無いことを証明したものの逮捕され、翌 日小栗の実力と影響力を恐れた西軍(正しくは官軍ではありま せん)により烏川のほとりで家臣3名と共に斬首、又市も家臣 3名と共に高崎にて斬首。 小栗は賊軍の長の名の下歴史から埋もれました。 その後、薩・長閥中心の明治新政府の歩みは習った通りです。 明治後年東郷平八郎が日露戦争・日本海海戦勝利は小栗上野介 の影響大として遺族に感謝の意を表しました。 また小栗勘定奉行(徳川金庫番)の延長線でなぜか赤城山徳川埋 蔵金伝説が昔からあり以前度々テレビで放映されました。 画像説明。 1ーポウハタン号の縮尺精巧模型。 2ー有名な咸臨丸の図。 3−遣米使節航路概略図。 4−土産として持ち帰ったネジ釘。 5− 同 ドリル。 6− 同 レンガ。 7−使節団を描いた同行日本人が描いた図。 8−一番驚いたとされる船を載せるフェリーボートの図。 9−スライド上映会の図。 10−土下座に驚くアメリカ人の図。 11−ホテルでの食事風景の図。 12−晩餐会、フィンガーボールの水を飲んでしまった。 13−気球の図。 14−最後に乗った駕籠。 15−説明書き 16−東郷平八郎 仁・義・礼・智・信の書。 17−説明書き 18−この場所にて斬首。 19−拓本 20−小栗上野介実写真。 |