井上隆雄君より

「惜別の歌」 島崎藤村作詞

遠き別れに 耐えかねて この高殿に のぼるかな 悲しむなかれ 我が友よ 旅の衣を ととのえよ 別れと言えば 昔より この人の世の 常なるを 流るる水を ながむれば 夢はずかしき 涙かな 君がさやけき 目の色も 君紅の 唇も 君が緑の 黒髪も 又何時か見ん この別れ

作曲者について、新居英治君より

この歌は私も麗高時代によく歌いました。
真っ暗なグランドやテニスコートを一人で歩きながら。
ただ、悩みを悩んでいたのかもしれません。
テニスのこと、友のこと、あこがれの君のこと。
以下、この作品のいわれです。今までこんな背景を知らなかった。
惜別の歌が作曲されたのは、昭和二十年三月で、
作曲したのは、当時中央大学予科一年生の藤江英輔氏である。
氏は、太平洋戦争の末期、東京板橋にある陸軍造兵廠第三工場に、
学徒・勤労動員で働いていた。
そして、日増しに切迫してくる戦況の中、
動員学生の中から、昨日一人、今日二人というように、召集令状により、
戦場へ赴かねばならぬ学生が増えてゆくという環境に置かれていた。
毎日が戦々兢々の別れの連続であった。
そのような日々に、同じ工場に働いていた東京女子高等師範学校
(現お茶の水女子大学)の学生の一人から、一片の詩を手渡される。
紙片に書いてあった詩は、
島崎藤村の処女詩集=若菜集=にある「高楼」であった。
氏はこの詩を見せられて、現実の日々の別れにあまりにも響き合う、
ぴったりの表現であると思い、
胸裏に走る電流のごときものを感じたそうである。
戦時下の極限状態といってよい環境の中で、
召集されてゆく同級生を送るにはこの歌しか無いと思い、
作曲されたのである。
(引用終わり)