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2001年1月28日
バリ島ベサキ寺院で寒気がして、パッサルアグンから引き返す。
39.5度の熱がある。薬をもらって
29日、30日床にふす。
1月31日大和田さんに挨拶におきる。
2月1日 ほぼ全快とみて、通常の生活に
2月4日 吉田君スアンタラ氏を迎えにくる。
この日から発熱と、腹部に痛みを感じる。
2月6日 どんどん痛くなるも、スアンタラ氏と打ち合わせ
PURI RAHARJAへ入院する。
バリの社員、タリオ君、パワナさん多くの社員が見舞いにきてくれる。
2月7日X線撮影とエコー
技師によると腎臓はOKただ0.1cmの石がありそうだとのこと。
痛みは減らないのでとりあえず退院
2月8日痛みは去らないので9日に日本に帰る決意をする。
掃部君と理香子ににお願いして、結石破壊装置のある病院を手配いただく。
2月9日夕方午後4時半、ホテルの裏口からでる、ホテルの殆どの社員マネージャーに見送られる。
車が出発と同時に、滂沱の涙がでる。
車に乗って、動き出すとなぜか号泣した。
2月10日8時関西空港に無事到着
理香子、勝博、家内が迎えにきてくれる。
そのまま医仁会武田総合病院泌尿器科へ
東先生に診察
痛みを和らげる座薬をいただく。
主治医は福田医長
CT、エコー、レントゲン検査をする。結石はなし、ただし炎症がある 念のため消化器科でも診断してしていただく。尿に少し血が混じっている。
蛋白がおりている、白血球が12000と高い、CPH12
結局原因判明せず、しかし点滴(抗生物質)で炎症を静める為入院 610へ
カルパペネム系抗生物質0.5g一日2回。
2月11日
小寺さんご夫妻が見舞いに、桂病院に行ったとの事。
6人部屋、いろんな患者さんがあり、いろいろな体験や症状が耳に入る。
となりのベッドの患者さんにほとんど毎日、お母さんがみえ、編物をしながら
息子さんを励ましておられる。母の子を思う気持ちにつくづく感じ入る。
TVでは原子力潜水艦、グリーンベルとえひめ丸の沈没の報、
夕刻39.5度の熱が出る。
2月12日
玉井社長、母、家内、、理香子、ブッダマス見舞いに
夕刻40度の熱
2月13日
井上課長、玉井君来訪
夕38.5度熱
2月14日
点滴の種類を変更 夕38度
2月15日 夕37.7度
毎晩座薬を使い、痛みを下げる、夜中に平熱に戻るため、大汗をかく
シャツをとりかえる。
今日からいつもの場所より、更に下部が痛む。
2月16日
点滴小二回、大一回
下着取りかえる。
2月17日
点滴の抗生材を変更
2月18日
家内、理香子、杉山さんよりお見舞い。
果物をいただく。血液検査 14000と高い
37.7度
CTを取る必要がある。
座薬を使わずに寝る
2月19日
朝37.2お風呂に入る
左の腸のあたりに痛みを感じる。
2月20日
2月21日
掃部部長来訪、退院について話をする。
昼食は喫茶店で、川島、折橋電話
理香子来訪:
ITB:590JUTA不足
会長誕生日
敦資電話
2月22日
玉井社長より:東急が駅前に移転の話し。
造影剤を使って点滴、一時身体が熱くなる。夜8時より
山田DRより呼び出し。
CTの結果をみて、大動脈瘤がある可能性大
炎症反応は沈下しているが、いまだお腹がいたいのは、何か問題がある。
2月23日
心臓のエコーをとり、動脈瘤を再度確認
立体CT画像を作成
親戚を呼んでほしいとの連絡
2月24日
5Fにて、家内、理香子、勝博、玉井社長にきていただく、一緒に説明を受ける
朴昌禧先生から説明:病名:細菌性動脈瘤
で既に破れている。それを一枚の薄い皮膜と、血栓で塞いでいる。
しかしいつ破れるかも知れない、入院時よりも約4mm傷が大きくなっている。
したがって一日も早い手術が望まれる。
幸い今、熱も下がり、炎症反応も下がっている。
細菌性の為、人工血管が使えない。
動脈の為人工心肺を使用せねばならない。
約8時間かかる。朝9時から 予定は2月28日とする。
成功した場合:意識が戻るのが夜9時半
約一時間後、先生に予定通りお願いしますと。お願いする。
みんなが帰る時、泣けてしょうがない。
点滴カルパベネム系抗生物質
チュナム0.5g 7WA19P
パルドクリン 100mg
理香子へ
家族及び、川島、折橋、役員にのみ連絡することにする。
2月25日
平常通り目が覚める、手術の事を思い浮かべる。
毎日朝日に向かって、瞑想をおこなう。
朝9時頃、朴先生が心配してまわってこられる。
夕べは寝むれましたか? 寝れましたと答える。
28日に向けて準備してしていきます。がんばりましょうと声をかけていただく。
この先生に命をあずける心境になる。
昼過ぎ長井孝介君がきてくれる。
川島、折橋、寺西、佐伯が理香子と一緒に
到着する。
2時家内、理香子到着
川島の言:「頭が真っ白になった、生きていく支えを失うわけにはいかない。
風呂の中で泣けてしょうがなかった。
バリから動脈瘤が破れているにもかかわらず、一人で帰ってきて2週間生きてこれたことが、奇跡であり、まさに神に生かされているとしか言いようがない。」
皆の顔を見てホットする。今後誰かが手術を受ける場合は、できるだけ手術前に励ましにいくべきであると思う。
今日はほとんどと言って良いほど自覚症状が無い。
どれだけ多くの人々の祈りにささえられているか、今この時ほど強く感じた事はなかった。
バリの社員も、お祈りしてくれたとのこと。
父、母、大輔、貴裕から誕生日おめでとうのFAXを受け取る。
2月26日
昨晩はあまりよく眠れなかった。
朝、川島、山本、後藤、折橋君がくる
昼理香子とはるばるデンマークからスザンヌとが来てびっくりする。
近くのホテルを手配してくれた。理香子に疲れが出ないか心配である。
本社役員が、一休神社で祈願。
母、貴裕がバリを出発。
7時ごろ:川島よりしっかり手術をうけるよう電話。
2月27日
本日より流動食
母、貴裕、到着
石居君、上木夫妻が見舞いに
午後1時過ぎ、松浦勝次郎先生が博士のお守りをもっておこしいただく。
いただいた時、恐れ多く有り難くて涙が止まらなかった。
全てお世話になった人々、友人、社員顔を思い浮かべる。
理香子、スサンヌ、家内到着、ICUの説明を受ける。
緊急連絡先を教える。
2月28日:
朝、子供と家内に、万が一手術が失敗しても、決して執刀医の先生を恨んではならない。
皆に今日までお父さんは幸せだった。ありがとう。と一人一人握手をする。
その後意識無し。
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