| <感謝、感動、感激 人生の三感王に> |
| *ふいに現われた人生の難所 五月の新緑の中、工務店に勤務している木村良平さんは、待ち合わせの場所に颯爽と現われた。 「今年、還暦を迎えました。還暦なんて、急に老けたようで少し嫌だなと思ったんですが、ご年配のお客様に『六十代は黄金の時代よ』って言われたんです。人生はその心持ちで良くも悪くもなる。どっしりとした肚(はら)をつくって、この黄金の時代を歩いていきたいと思っています。 明るく話す良平さんだったが、この笑顔にたどり着くまでには、人生の難所があった。 さかのぼること18年、ちょうどバブル経済が崩壊を始めたころのこと。当時、良平さんは社員25名、大工18名を抱える建築会社を経営していた、義父から受け継いだこの会社は、会社全体でモラロジーを学び、相手の立場に立った細やかな仕事ぶりが好評で、経営はいたって順調だった。 あるとき、4億5千万円の一戸建て住宅を建築する仕事の依頼が来る。有名な建築家が設計したその家は、これまで数多くの家を建ててきた良平さんの目から見ても、とても魅力的だった。施主の希望は「母ががんのため、少しでも元気なうちに早く建てたい」というもの。快諾すると着工金が支払われた。 しかし、コンクリート造りで躯体工事が完了し、棟上の時期になっても、その後の支払いがない。請求しても、相手は「もう少し待ってほしい。 必ず払うから」と言うばかり。しかたなく工事を2ヶ月ほど中断させた。 ”お母さんががんだと言っていたし、工事を再開しないと完成が遅れるばかり・・・・・。それにこんなに洗練されたとても良い設計、完成させたい気持ちもある” さらに脳裏にある思いがよぎった。 ”待てよ。会社は順調だし、今すぐ費用をもらえなくても、竣工まで資金繰りはできそうだ。お母さんが元気なうちに良い家を完成させたい” それが工事再開への後押しとなった。 結局、施工代金が未収のまま工事を進め、半年ほどで家は完成した。 しかし何度、良平さんが支払いのお願いに足を運んでも、施主は「絶対に払うから。あの家に一番抵当権を、息子の家にも抵当権をつけていいから」の一点張りで、まったく支払わない。 この状態が2年続き、良平さんはこれ以上、支払いが遅延すると会社の存続にかかわると思い、請求書に延滞金を加えて裁判を起こした。 2年後、相手から「3億円ならば払える」と和解の申し出があった。手形での支払いを希望された。良平さんは、資金繰りに奔走する厳しい経営状態の中、背に腹はかえられないと承諾。しかし、手にした手形は決済されないという事態となった。 その間にも景気は悪化し続け、経営もいよいよ行き詰まり、平成10年、ついに会社は倒産してしまった。 ”あのとき工事を中止していれば、最小限の損害で済んだのに・・・・” 良平さんは経営者として判断を誤った自分を責めた。お世話になった業者やお客様方、会社を任せてくれた義父や義母、そして実家の両親・・・・。 恩人たちの顔が次々と浮かび、いつの間にか、これまでのことを振り返っていた。 皆さんに迷惑をかけようと思って、今まで仕事をしてきたんじゃない。モラロジーを学んできたんじゃない。こんなはずではなかったーーーー。 *順調な日々 最初にモラロジーとの縁をつないでくれたのは両親だった。 モラロジーを熱心に学ぶ両親は、子供たちに「品性という資本」を残そうと、広池学園の学校へ入れることを目標としていた。 良平さんは麗澤高等学校(千葉県柏市)へ進学すると、モラロジーの基礎にふれた。そしてモラロジーを会社全体で学ぶ建築会社に就職し、働きながら大学で建築の勉強をした。忙しい中でも、モラロジー事務所の勉強会や青年部の活動などに積極的に参加していた。 昭和44年、良平さんは社長の娘の木村小夜子さんと結婚し、婿養子に入った。他社での修行後、31歳で会社を引き継いだ。 二男一女に恵まれると、大黒柱として仕事に一層力が入った。建築現場での心構えや注意事項をまとめ、社長から現場の職人まで、顧客が心から満足できるような仕事を目指した。さらに、自分を育ててもらった恩返しになればと、積極的に若者を受け入れて修行させた。 建物の設計、特に個人住宅は、顧客にとって一生に一度のことであり、どんな家を望んでいるかは千差万別。顧客が納得できるものを作るため、通常は数ヶ月で設計する建物でも、良平さんは実に一年近く、打ち合わせを重ねていく。完成した家に感激して、さらに別の顧客を紹介してくれる顧客も多かった。 皆さんに喜んでいただいている。そんな確信があった。 その後、倒産することになろうとは、当時は夢にも思わなかった。 *心に灯った光 倒産した直後から、良平さんは業者や顧客のもとへお詫びに歩いた。しかし、電車に乗ろうとしても、駅のホームの端を歩けない。 誰かに突き落とされるんじゃないか-----。不安と恐怖が常に付きまとう心理状態だった。 自分を責めては苦しむ、出口のない森をさまようような日々。そこへ希望の光を与えてくれたのは、家族であり、モラロジーの仲間であり、良平さんを思う温かな人々の存在だった。あるモラロジーの先輩は倒産の事情を察するや、迷わず自身が所有する家への引越しをすすめ、何から何まで世話してくれた。その真心は、良平さんの苦しい心にそっと寄り添い、あたたかい光を与えた。 ”ああ、こんなふうに無条件に人を救おうとする人がいるんだ。真にモラロジーを学んだ人というのは違うものだ” できることなら、自分もこんな無私の人間になりたい。そう思った。 ”光”はそれだけでない。毎日、励ましの電話や支援金が数多く届いた。 「木村さんなら絶対大丈夫!」との顧客の声。「用事ができて、旅行に行けなくなったから、このお金使ってよ」と言う知人。親戚から送られてきた荷物の中に、野菜に紛れてお金が入っていたこともあった。 家族も一丸となって良平さんを支えた。奔走する父の姿を見て、後継者として修行に出ていた長男の良三さんは修行先を辞め、共にお詫びに歩いた。 「こんなにも多くの方が支えようとしてくださっている!自分はなんて幸せ者なんだろう。後悔ばかりしてはいられない。もう一度、がんばらなくては!」 心の中に大きな光が灯された。 倒産から2ヵ月後、一から肚づくりをしようと、モラロジー事務所に再び通い始めた。 ”どうしても家を建てたいという、自分中心の心が間違っていた。救いの手を差し伸べてくれたあの先輩のように、無私の心に近づいていきたい” むさぼるようにモラロジーの本を読んでいると、廣池千九郎(モラロジーの創建者) が残した「深く天道を信じて安心し立命す」という格言が目に飛びこんできた。 ------容易に解決できない問題に直面したとき、解決への勇気と耐え抜く力を与えてくれるのは、道徳的な心づかいと行いの累積が必ず報われるという信念であり、必ず神はみていてくださるという信頼である。そこから物事に動じない、どっしりとした肚はできてくる-------。 ”まるで今の自分のためにあるようだ” 今までに何度もこの格言にふれたことがあったが、このときほど丁寧に味わったことはなかった。よい心でよい行いをしていけば、きっと物事は好転する。そう信じて、毎朝、この格言を心に刻み、債務整理へと出かけた。 妻の小夜子さんは、当初、「恥の上塗りになるのでは」とモラロジー事務所へ出かけることを反対したが、心を変えていこうとする良平さんの姿に接し、逆境のときこそ、家庭に道徳が必要であると思い直した。そしてみずから学ぶだけでなく、息子夫婦にも受講などをすすめた。 *人生の三感王に 債務整理には約2年を要した。その間、知人から「今にも会社が潰れそうな人がいるから相談に乗ってほいい」との話が何件も持ち込まれた。こんなときに・・・・・と思いかけたが、自分も倒産直後、即座に助けられたことを思い出した。こんなときだからこそ、相談に乗らせていただこう。そう思って親身に相談を受けた。何か役に立てることがあるのは、嬉しいことだった。 そして長男の良三さんが社長となって会社を復活させると、かっての顧客から様々な仕事が入ってきた。「我が家の神棚を作ってほしい」「娘の家を建てるから、土地探しからすべてしてほしい」。一度、倒産した会社に新築を頼むようなことは、普通では 考えられない話だ。嬉しかった・・・・・。目から涙があふれた。 復活から8年、若いころに建築した家の施主は老齢を迎え、家もまたリフォームの 時期になっている。 良平さんは一軒一軒、自分の親の家を直すような気持ちで仕事をしている。畳の表替えを頼まれれば、畳みを上げたあとの荒床をタワシで擦って雑巾がけをする。 リフォームを請け負えば、ホコリをかぶった食器を洗い、便器や浴室、換気扇や窓ガラスもピカピカにしていく。 どれも倒産前にもしていたことだったが、より一層心を込めて行っている。顧客の喜ぶ顔が何よりの喜びだ。 「どんな仕事でも”あなたに頼んでよかった”と相手に感動をプレゼントできたらと思っています。そして感謝を忘れず、少しずつでも恩返しできるような生き方をしていきたいですね」と良平さん。 感謝、感動、感激の”人生の三感王”を目指して、己を根本から変えて いきたい-----。そう言って穏やかに笑った。 平成20年8月「れいろう」 より |