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寒さが肌を刺す冬の庭に、犬はわがもの顔に駆け回り、猫は暖を求めて丸くなる。仲間にはぐれたツバメが、馴れぬ旅路で越冬とかの話がある反面、雀が雪の林でいやに戯れている。
熱帯魚の飼育はなかなかむずかしいと聞くが、一面凍りつめた池の底では、見事な鯉が遊泳している。これら動物の生態を見比べながら、計り知れぬ自然の複雑な中に調和ある玄妙に魅せられてしまう。
神は、あらゆる生命あるものに、それぞれ所を得させて、それがもつ特色を伸ばすようにしてくださった。
人間がいつからこの世に現れたかはそれほど問題でない。むしろ、いつのときからか、神が人間に「考える能力」を付与してくださったことにある。しかも、この考える力は無限の可能性を持って発展することを約束された。
科学文明もまさに人間がこの天与の考える力を発揮した所産である。五十年前の人間は、はたして今日の科学的黄金時代を想像したろうか。また、今日の人間は、五十年後の世界をしかと予言できようか。
いずれも、考える力が生み出す、めまぐるしい変化の驚異を物語っている。それでいて、人間はいつも未完成のままであり、終生考える努力をしなければならない。しかも、厄介なのは、考え方が軌道を外れた場合である。そこに人間が他の動物に見ることのできない悲劇をもつことになる。
つまり、一方では平和を希求しながら、互いに相剋の修羅場をつくる。あるいはまた、元来人間が、働くべくできているのに、働く権利を放棄したがるようにもなってしまう。これらの間に交じって、自分の使命は一体何なのか。神の子ならば、真実その使命にしたがうべし、悪魔の子ならば、早々にくたばって人口過剰を少しでも軽減したらよかろう。
神はここにも自分に考える権利を授けてくださっている。
昭和41年2月発行『麗鳳』 巻頭言
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