よく生きる力

松浦勝次郎先生の「よく生きる力」より抜粋
絆の回復と創造

第一章
いちばん大切なもの
今本心から大切と思えることは、すべて何らかの意味で「無私の慈愛」との出会いでした。
また、私がこれまでに悩み、苦しみ、不幸と感じたような体験はすべて、
そのようなときにも「無私の慈愛」に恵まれていながら、その存在を見失い、
自分から慈愛を受け止めていなかったことに原因があります。
私たちはどのようなときにも「無私の慈愛」に恵まれ、大切に守られ育てられています。

最も確かなこと
今現在生きてここにある、自分自身が生きる意志をもっていること。
そして「よく生きる」ことを望んでいる。
「よく生きる」力はどこから生まれてくるか?
その根幹にあるもの
親の無条件で、純粋な慈愛――――父母から受けた慈愛とその実感の記憶を大切にすることが、土台となります。
無私の慈愛の存在は「日月」の存在のごとく明らかなものである。

恩寵的試練の実感

すべてのことには道がある。
自己のおかれている状態を良く知れば知るほど、私たちは常に危機に遭遇していて
、一方で常に多くの力によって守られ助けられて、まさに奇跡のように、一つ一つの
危機を乗り越えていくのが私たちの人生です。

「自己の身分もしくは身体につきて非常の変化を生ずる場合
すなわち自己の過失もしくは不道徳にて社会の地位を失うとか、
財産を失うとか、国法に触れて罪人となるとか、もしくは大患にかかりて、
再び起つべからざる場合」にも人間として、みずから選び。「安心」して生きる道がある。
いかなる場合にも「すべてのことには道がある」という強固な信条をもつ

人生の中で遭遇する危機こそが
各自に与えられた本当の使命を明らかに示すものであり、危機は
危険であるよりも機会であるということ。

そして危機が大きければ大きいほど危険も大きいけれども、
機会としての可能性も大きいことを実証しています。
世を益する
限りある命

死は自分のものでもあるという、ことに気づけたこと。
今後の人生に影響を与えた。
自分とは一体何か、私自身が何を自分と思っているのか?
他人から区別し、生まれたときから始まったと思っている私という存在は
いづれ死を迎え、必ず消滅します。
そのことをはっきりと認めることによって、私の心にいろいろな変化が起こり、
よく生きようという意志とと力が湧いてきました。
まず第一に、必ず人生に終わりがあるということは、
人生の中で、何を求め、どんな努力をしても、結局は、
すべての人の人生の最終の結論は死であることになります。
もしそれだけのことであるとするならば、事実を直視することによって、人生はまことに
はかなく希望がないものとなって、虚無的にならざるを得ないように思えます。

しかしその時に考えたことは、人間には誰にも、自分の死を恐れ、
死を直視することを避ける面があるけれども、同時に一方で、
避けることのできない死を正面から受け止めつつ、
生きがいと希望をもって、ものごとにみずから取り組み、
生き生きと喜びをもって生きることができる面も、事実としてあるということです。
最大の気づきは「人は自分だけの為に生きることはできない」ということ。
人間には、だれにも、普段自分自身が自分と思っているものだけでなく、
より広くつながり、より長く続くもののために何かをする役割があります。
その役割を果たす実感こそが、生きる喜び・生きがいとなっていることに気づくことができた。
 
 

「人は自分だけの為に生きることはできない」ことに気づき、
自覚したことにより自分の内から「よく生きる力」が湧いてきた体験は人生のよりどころとなった。
 
「忠恕と惻隠とは共に思いやりの事でありますが、惻隠は特に老人や怪我人や病人や
貧窮者その他の苦痛ある人に対して、忠恕は他人の苦痛を我が事の如くに思いやる精神作用をいう。
この同情心が真の慈悲心に入る門戸である。
人間にこの心なきものは人間でないと「孟子」に説いてあります。

シェイクスピア
「天がわれわれを使用するのは、我々が松明を使用するのと同じである。」
人間存在の価値は、天功を助けて自分以外のものを利するにあり。
「自助論」「天はみずから助くる人を助く」


よく生きる力 2
命と時間は失ってしまうと、決してとり返しがつかないものですから、
それが自分のものであっても、人のものであっても、私たちが最も大切に
しなければならないものであることは明らかです。


命があるというだけで、それが生きがいとなることはありません。
自分の命を大切にすることがそれだけで「よく生きる力」となることもありません。
自分の持ち物、自分の能力、自分の業績、あるいは自分の命などというときの「自分」
には、いずれ死が訪れます。私たちが最もこだわり、最もとらわれているその「自分」
は必ず消滅します。
 その「自分」の命そのものが、自分にとって最高の価値で、
それ以上のものが無いとしたら、必ず終わりがあり消滅することが分かっているものを
最上の目的とすることになり、生きることに常に矛盾がつきまといます。
それでは生きること自体が迷いとなります。

もちろん、すべての命それ自体に価値があります。
しかし、自分の命そのものが最終・最高の目的であるというだけで、
命を本当に大切にすることはできません。
その命を生かす意志があり、その命が生み出す価値を求めるから、
命を大切にする意味があり、命を大切にすることができるのです。

「よく生きる」とは狭い「自分」の束縛を超えて、自分の命より大切なものの為に
自分の命を生かそうとすることなのではないでしょうか?
命よりも大切な価値があるから、自分の命も人の命も
本当に大切にすることができるのだと思います。


P77

よく生きる力 3

地球上の全ての生物の体の素材と遺伝情報の仕組みは、
本質的なところは全く共通しています。
もう一つの重要な事実は、35億年前の生命誕生から現在までに、この地球上で
それまでの生物の子孫でない新たな生命が誕生した証拠は全く発見されていないと言うことです。

したがって今生きとし生けるものは全てみな血のつながった兄弟である。

共生とは
生態系全体が、協調関係を根幹とする共同体である。

私たちは自分だけの為に生きることは出来ません。
自分の中に、自分が生まれる前からあったものが生きています。

また自分の命が尽きても、消えてなくならないものがあります。
そういうつながり続くものの中にこそ、尊い価値があります。

そのような、自分の命よりも尊く高い価値の為に、自分の命をみずから生かすことこそ、
私たちが本当に望んでいることです。 「天功を助ける」



原因を何に求めるか?
同じ出来事についても、原因を何に求めるかによって、生き方の方向がきまる。
自分がかかわるすべてのことについて、最も重要な原因は自分が作り出しています。
特に心の働きが、ものごとの価値や意味を生み出す本当の原因であると言えます。

心と体
普通は人間の意識でコントロールできないと考えられている、自律神経の
働きに心の状態が強い影響を与えている。
精神作用、精神状態が免疫系の働きにも強い影響を与えている。

意識的によいイメージを繰り返し持つことにより、
免疫の働きを活性化し病気の治癒を促進する。
「抗体さん」たちの一致協力や一途で献身的な働きをありがたく感じる。
抗原との戦いぶりを応援する。

病気に対して積極的で善い心遣いが病気の治癒を促進する。

一番自分の自由になり、自分だけで力を発揮できる、
自分の心使いで自ら治療にも関与できる。
そうすることによって、自ら治療し回復に向かう気力と希望も湧いてきます。

病を自分のものとして受け入れ、心のあり方を立て直し、
心遣いで自らも治療に関与しようとすることは、回復の促進のみならず、
病気が心をつくり新しい道を開くための、天から恵まれた貴重な機会となる。



二つの秘訣
第一:全て善事の根本の目的が、人の心を育てることにあり、
それが自らの「心をつくる」ことにつながっていること。


第二:心を育て「心をつくる」ことが自分の力だけでなく、これまで命と
心を守り育ててきた恩人達との深い心のきずなを基盤としていること。
またその恩人達の育てる心と働きを受け継ぎ、助ける行為である。


人生の目的の根幹は「心をつくる」ことです。
その目的のためには、人生の中で、自分の身に起こることで、
否定的で無駄なことは何一つありません。

苦難も含めて人生の中で出会うすべてのことが、
あるいは特に苦難こそが、心の成長のために天から与えられた機会である。

広池博士は、その生涯を通じて、他者の幸せの為にできる限りの犠牲をつくしましたが、
決して自分を粗末に扱うことはありませんでした。
むしろ自分の価値や大切さをだれよりもよく自覚していて、自分自身をもっとも大切に
した人だと思います。
それは、自分自身が無私の慈愛に恵まれ、
大切にされている存在であることを深く認識し、
その恩に深い感謝と感激の念をもっていたからです。