国を想う @国家の恩恵

    ーーーーわが国はわが身の一部

 人間社会のさまざまな団体の中で、家庭と国家は、だれにとっても
特別な存在です。現在も、秩序ある健全で安定した家庭と国家がなければ、
人間は生存し安心・幸福な生活を実現することはできません。家庭も
国家も、子孫にもおよぶ先人たちの深い願いと献身・犠牲によてできた
もので、家庭と国家のあらゆる要素の中に、先人たちが、世代を重ね
累積してきた尊い願いと犠牲が込められています。

子どもたちの将来
 私たちが生きる時代の大きな特色は、変化と速さと、人と人との
つながりの広がりと深まりです。迫り来る大きな危機も予測され、
現在の世界とわが国の情況をどの面から考えてみても、これからの
時代を生きていくためには、だれにも、より広く深い知恵と、より質の
高い道徳が求められることは明らかです。子どもたちやこれから
生まれてくる人たちの将来を思うと、今のわが国の家庭教育・学校教育の
中で、将来ほんとうに必要となるものが、子どもたちに今与えられて
いるのかどうかを、真剣に問い直してみる必要を感じます。

特殊な時代、特殊な常識

 私たちは今、人類の長い進化の歴史の中できわめて特殊な時代に
生きています。
 私たちが今生きて生活できるのは、私たちの祖先が、これまで
一度も途切れることなく、家族、国家を尊重し守り、永続を期して、
人間としての命と心を受け継ぎ次世代を育ててきたからです。それが
これまで実現できてきたのは、これまでの祖先が、世代を重ね、永続を
実現する知恵と生き方を継承し続けてきたからです。
 先人たちの歴史、特に困難の時代の先人たちの生き方の歴史を
学ぶと、人類の長い歴史の中で、現在の私たちの生き方がいかに
特殊であり、「異常」であるかに気づきます。人類は、私たちが当たり前と
思っている今の常識とは異なる考え方・生き方によって永続を果たして
きました。
 この約半世紀の間に、わが国では、特に家と国家についての常識が
大きく変わりました。そのことについて、私たちが正気を取り戻し、若い
人たちの心に健全な常識を育てることが、こどもたちの未来に道を開く
ために根本的なことでありきわめて重要なことです。

八月十五日に
 昨年は、特に戦争やわが国の将来について思うことが多かったことも
あって、昨年の八月十五日には、五十八年前のこの日の情景や実感が
鮮やかに思い起こされました。私は、まもなく六歳になるとき、岐阜県の
疎開先でこの日を迎えました。私の心にありありと甦ってきたのは、
敗戦の日とその前後の、私の身の回りの大人たちの態度とその印象です。
その日に、身なり・姿勢を正して、ラジオの前に集まり、玉音放送に涙して
おられた多数の方々のお姿が、私の心に強く焼きつけられています。
幼かった私の目に映ったそのときの大人たちの涙は、実に清く美しいもので
ありました。
 食料・物資も乏しく空襲の危険もあり、身近の大人の方々も、私の父母も、
みなが大変な苦労をしていましたが、今思うと、そういう情況の中で、当時の
大人たちは、特別に不満をもつことなく、無駄な争いもせず、取り乱すことも
なく毅然とした態度で、日々を過ごしておられました。貧しい中で、行いを正し、
互いに助け合い協力し合っておられた姿だけが私の心に残っています。
 昨年も、八月十五日の少し前から、新聞、テレビ、雑誌などで、先の戦争に
かかわるさまざまな報道を目にし耳にしました。そのころに特に強く感じていた
ことは、報道からイメージされる当時の社会の空気・人々の心情と、私の心に
残っている実感との間のあまりに大きな隔たりです。現在では、戦争にかかわる
ことは、すべて暗く・否定的な面だけが強調されて報道されています。


「国民」であること
 私たちは、国家にかかわる報道には特に関心をもっていますが、
現在では、国についての報道は、ほとんどが国に対する不満・要求・
批判ばかりで、国家の恩恵に対する感謝や国民としての自覚・責任
についての報道はなかなか目にすることができません。
 戦中・戦後の貧しく困難なときに、先人たちが、自国の将来のために、
現在のような不満もなく、卑屈になることもなく、互いに助け合って
いきることができていたのに、これほどまでに安全・自由・物質的豊かさに
恵まれていても、不平・不満・要求ばかりが多くなり、国に対する献身・
協力・感謝を見失い、今の状態を不幸と思っている人が多いのは
なぜなのでしょうか。
 昨年の八月十五日より、私の心を離れないのは、「国民」としての
明確な意識と自覚をもてないことの不幸です。
 日々の生活の中で、国家の恩恵と無関係なことは何一つありません。
現在のわが国のように、通常、日常生活のすべてを安全・安心・便利に
行うことができるのは、すべて国家の後ろ盾があってできていることであり、
国家の安定した秩序を支えている制度・法律・習慣など、どれをとっても、
すべて先人たちの尊い願いと犠牲によって築かれてきたものです。
人から戴いた親切に感謝する心があるなら、日常出会うすべてのことの
背後にある国家の恩恵に感謝し、現在の境遇を喜ぶことができます。
 私は「わが身はわが家族・家の一部であり、わが家族・家はわが身の
一部である」こととまったく同じように、「わが身はわが国の一部であり、
わが国はわが身の一部である」と心から思っています。今の私の生きがい・
生きる喜び・生きる力の根幹は、その実感によって支えられています。