国を愛する心--わが国の未来

 長く続く不況、諸外国との関係にかかわるさまざまな新しい難問の
続出、犯罪や自殺の増加などの不安要因から、多くの人たちが迫りくる
国家の危機を予感しています。しかし、
本当の危機はこれからのことで、
未だ、多くの日本人を本気にさせるほどの情況にまでは至っていません。
確実に言えることは、予測される困難を乗り越える気概と力と知恵を
養うこと、また正しい国民思想を形成して建設的な協力体勢を築くことが、
今、われわ
れ日本人に、強く求められているということです。

困難を乗り越える力
 人生途上には必ず苦難との出遭いがあります。先人たちが、また私たち
自身も、これまで、大小の幾多の困難を乗り越えてきたから、
私たち一人ひとりの現在があります。
 私も、これまでに、私にとっては苦難と思えるような目に遭ったり、
あるいは、自分の力に余ると思えるような厳しく難しい局面に立たされた
こともありました。振り返ってみて、特に大きな困難に出遭ったときに、
つねにいちばん私の支えとなり力の源となっていたのは、父母が大切に
私を守り養育してくれたことへの感謝の念と、私がつねに受け続けてきた
父母、祖父母の願いと慈愛の実感でした。

 私はこれまで、父母が他界した後でも、父母、祖父母に心配をかけるから
という思いによって、危険なこと、行き過ぎたことなどを思いとどまることが
できたこともありますし、今も、父母、祖父母、祖先が安心し喜ぶからという
思いから、善いと思うことを進んで行う勇気をいただいています。
私は、
今もつねに、父母、祖父母、祖先に愛され守られ養育されていると思っています。
 愛され大切にされているという実感から、人を愛し大切にする心が引き
出され、それが、自暴自棄に陥ることなく困難を乗り越える勇気と知恵の
源泉となっています。


祖国を愛する心
 わが国では、今、不況克服のために、また国家が直面している
その他のさまざまな課題を乗り越えるために、政治・経済・外交・
教育などあらゆる面で改革が叫ばれ続けています。しかし、今叫
ばれている改革という言葉から、ものごとの本質や人々の気概・
知恵が感じられることは少なく、狼狽、姑息、さらには自暴自棄の
ような危ういものが伝わってくることが多いのはなぜでしょうか。
 大東亜戦争後、多くの日本人が、意図的に遠ざけて排斥してきた
結果、それ以前と比べて、
わが国でもっとも希薄になったものは、
祖国を愛する心です。

 今年の八月十五日で、終戦の日から数えて五十九年になります。
あと一年余で、わが国が建国以来初めて他国に占領され独立を
失った日から六十年になるということです。わが国の先人たちは、
六十年を還暦と呼んで、長い人生の中で、その年を、新しい人生が
始まる特に重要な節目として大切にしてきました。
 自国を愛する心を否定するような、わが国の歴史上きわめて
異常な思想は、敗戦という異常な情況の中で、外国から押しつけ
られたものではあったのですが、そのことよりも、それは独立後も、
われわれ日本人がみずから受け入れ続け増大してきたものである
ということに、国民あげて、気づき、反省し、新しい道を歩き始める
ときがきたというべきではないでしょうか。

純粋無私の願いと祈り
 祖国を愛する先人たちの真心によるこれまでの数々の偉業
なくして、現在の私たちの生活はありません。また、祖先・先人
からの伝統を尊重し祖国を愛する心なくして、真に価値ある偉業が
成し遂げられたことは、いまだかってありません。
 終戦のときの昭和天皇の御製
身はいかになるともいくさとどめけり
    ただたふれゆく民をおもひて
 本年の今上天皇の新年の御製
人々の幸願ひつつ国の内
    めぐりきたりて十五年経つ

の「民をおもひ」「人々の幸を願ふ」大御心は、国の親としての
純粋無私の慈愛からの「思い」であり「願い」であることは、宮中と
伊勢の神宮における祭祀と、歴代天皇の御日常について少しでも
ほんとうのことを知れば、だれもが心から理解し納得できることです。
 わが国の先人たちは、つねに純粋無私の慈愛・願い・祈りの
直接あるいは間接の感化によって、知恵と勇気とをいただき、
幾多の国難を乗り越えてきました。その慈愛・願い・祈りは、まったく
変わることなく、今も私たちに向けられ、私たちに及んでいるものです。


モラロジー研究所発行平成16年「れいろう」3月号記事より