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2、−信用できる人−
廣池千九郎博士の言葉に
普段の時は普通の人と同じでも、さぁという時に役に立つ者でなければなりません。
普段一生懸命に働いても、いざという時にしり込みするのでは信用できません。
とあります。この言葉は青年に対して語られたものです。
昭和6年、群馬県の大塚温泉で静養中のことです。「松葉の湯」が養生によいと聞き、早速、用意することになり、側近の青年たちは一生懸命に松葉を集めました。
そして「松葉の湯」を仕立て博士は静かに入浴されたそうです。博士のからだには大変良く効いたのですが、少し強すぎるということで入浴は一回で中止になったのです。その事を知った青年たちは山ほど集めた松葉を前にして「たった一回の入浴で中止なさるのか。もったいないな」と思わずつぶやいたそうです。
その言葉を耳にした博士は青年たちを集めて
普通の人は一度使ってそのままにしておくのはもったいない。たびたび使わなくては
損である、という人があるが、肝心な時に間に合うものでなくてはなりません。
何でも一度使って後に使わなくなってもさぁという時役に立てばそれでよいのです。
と諭しました。「廣池先生に入浴していただくために」と一生懸命に松葉を集めた青年の意思を十分に承知の上で語った言葉であることが重要です。
山ほど集めた松葉を前にして「もったいない」という気持ちをいだくのももっともです。しかし、集めた松葉のために入浴を続けるというのでは物事の本末を見失っていることになるでしょう。そして、「松葉の湯」が病で衰弱した博士の体に有効であったのですから肝心な時に役立っているのです。したがって、一心に松葉を集めた青年たちの努力は決して徒労ではなく、集めた松葉も無駄ではないというのです。
そこで、冒頭に掲げた言葉を博士は青年たちに説いて聞かせたのです。「肝心な時」「さぁという時」は突発的に起こることもあるでしょうし、また満を持して待機する場合もあるでしょう。しかし、どのような事態に遭遇したとしても、その都度、その機に臨んで役に立たなければならないのです。「肝心の時」とは、それまでに培ってきたその人の人柄をも含んだすべての実力を発揮する場です。そのためには人知れず、ひたすらな努力が不可欠であり、その努力が人様から信用される原点であるというのです。
− 文責 井出 元ー
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