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十月上旬、カリフォルニア州ギルロイ市のギルロイ・モラロジー・ハ
ウスで、米国モラロジー 協会二十周年記念式典が行われ、サンタクララ
郡長、ギルロイ市長(代理)、同市教育関係 者が参列されていた席で、
祝辞を述べさせていただきました。
「貴協会におかれては、互敬 の精神を持って、地元と米国社会にいっそ
う貢献する教育活動を展開されますことを祈念し ます」と祝辞を結びま
したところ、「互敬(mutual respect)」という言葉に新鮮なインパクト
を感 じたという方もおられて、うれしく思いました。
さらにうれしかったことは、協会理事長の内田善一郎さん(81歳)
の元気なお姿に接するこ とができたことです。
鹿児島県出身の内田さんは、軍隊に入って南方を転戦し、フィリピン
で終戦を迎えます。
戦後は郷里で市会議員になりますが、県の青少年代表として渡米し、そのとき、自由で平等
なアメリカの民主主義社会、オープンなアメリカ人気質に衝撃的な感銘を受けます。同時に、
日本は戦争に負けたが、日本人もすばらしいものを持っている、それをアメリカ人の人々に
伝えたいと一念発起し、移民として渡米する決意をするのです。内田さんはサンフランシスコ
郊外のサリナスに住み、荒地を耕して農園を作り、花卉栽培を始めて成功します。
その一方で、日米両国の政府に日本人移民に関する嘆願活動を続け、昭和30年から数年間で千名を越える人を鹿児島からアメリカに送りました。内田さんの口癖は「太平洋は水たまり」。日米の架け橋たらんと、いくたびも往復した人ならではの言葉です。
当時はまだ排日感情が強く、戦車の砲口が日本人のコミュニティに向けられていたそうです。しかし、内田さんは、なんとしても日本人のよさを伝えたいと、移民の先頭に立ってアメリ
カ社会に溶け込む努力をしました。日本人としての誇りを持ち、勤勉、正直、和の精神等を
発揮して、倦まず弛まず地道な努力を重ねたのです。その姿勢がアメリカの人々の心を動か
し、やがて「排日」が「拝日」に変わっていきました。
協会の式典で、ギルロイ高校コーラス部が両国の国家を斉唱したのですが、彼らが歌う「君が代」には敬愛の念が感じられて、感動しました。
今では、内田さんが送った日本人移民の二世、三世が何万人にもなって米国各地で活躍しています。内田家でも、長男のテッドさんが父君の精神と事業をしっかりと継承しています。
内田さんの功績に対して、このたび南日本文化賞(南日本新聞社主催)が贈られました。
イチロー選手や松井選手の華々しい姿を見るのも楽しいことですが、内田さんのような日本人が日米両国の発展に献身する姿をみせていただくことはさらに楽しく、勇気づけられます。
内田さんをはじめ日系人の方々のますますのご活躍を祈りながら、帰国の途につきました。
本稿は、財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(12月号)誌に掲載>
されている> 廣池幹堂理事長の「巻頭言」で、ご本人の承諾をいただき掲載をしております。
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