心に残る言葉
なぜ大学院に通うのか

老いは確実にやって来る。


群馬県最大発行部数である地方紙(上毛新聞)の記事に
「民俗学へのいざない」其の12.にて、新谷尚紀(国立歴史民俗博物館教授)
さんが、麗澤教育的記事を書かれていましたのを目にし、
なぜか、心に残りましたのでその全文を送らせていただきます。

我々にも、遅かれ、早かれあと数年でやって来るであろう
『老いを過ごす』という、題でしたが・・

 老いは確実にやって来る。
自分や家族を支える原動力だった技能も、加齢とともに衰え、
若いころ簡単にできたことができなくなる。
そんな老いに対し、民俗の伝統はどのような知恵を蓄えてきているだろうか。
最近の民俗学研究で、隠居と定年について興味深い分析が行われている。

それによれば、隠居は慣行であり、定年は制度であるという。
隠居といえば、水戸黄門を思いだすように、仕事を息子に譲って、
悠々自適の生活を送る商家の楽隠居のイメージがある。

対して定年は「定年後」という言葉があるように、まだ元気で
働けるのに仕事を辞めなければならないという複雑な心理ある。
主体的な隠居と強制的な定年の違いである。

そもそも、定年は明治期の陸海軍の現役定限年齢に由来する。
一般の会社に広く導入されたのは高度成長期以降だ。
軍人や官吏の定年は、1890年(明治23年)の官吏恩給法が示すように、
退官には恩給がセットになっていた。
組織の活力を維持するため、労働力を入れ替える代わりに、
恩給という「養老」対策が取られた。

 一般の会社でも踏襲され、国民年金の制度が整備されたのは、
1961年(昭和36年)のこと。
しかし、長引く不況と高齢化の中で、年金制度が危機を迎えている。
老いの文化に対し、国民的規模で取り組まねばならない時代が来ている。

 高齢者が定年後何をするか。多くの体験談が物語っているのは、
仕事、趣味、奉仕の3つのいずれかである。
仕事の場合、余力として技能が残っていなければならない。
趣味はそれを可能にする経済力が必要である。
しかし、奉仕は感謝の気持ちがあればよい。
感謝と奉仕の心は、長寿を授かった自分自身の中に探すことができる。

先人たちは長寿の源となった食物が、水を除いてすべて動植物
の犠牲であることに驚き、万物に手を合わせることを学んだ。
 近畿地方の農村に伝わる慣行では、60歳に達した人は、自治会などへの
出席をやめる代わりに、氏神への奉仕に専念するようになる。
その中身は神殿や境内などの掃除である。
他人が嫌がる仕事(掃除)を率先して行うことが、自分の心も清めるという。
老いを迎え何をすべきか。民俗学が示す答えである。

 以上が記事の全文です。「感謝」と「奉仕」の心を形に・・
学園でもよく言われた言葉ですが・・心してやらねば、
と思いながら読み直しました。