幸せの種をまく』
モラロジー研究所理事長
廣池学園理事長
廣池幹堂
昭和八年秋、名古屋で初めて開かれたモラロジーの講習会で、
一人の十九歳の青年が廣池千九郎(モラロジーの創建者)の話
に真剣に耳を傾けていました。祖父が創業、父親が代を継いだ
製糸工場は、岐阜県下でも有数な工場に発展しましたが、青年
が学業を終えるころに母親が亡くなり、家庭も家業も打撃を
受けました。しかも世界的な不況で、生糸相場も大暴落。青年
は家業に入って懸命に働きましたが、多額の借金が残りました。
モラロジーを聞けば借金は棒引きになる、と聞いて、青年は
必死な思いで耳を傾けていたのです。しかし、借金棒引きなど
の話はありませんでした。

青年は廣池に直接指導を受けようと宿に訪ねたところ、廣池
は病の床で休んでいて、高弟の応対を受けました。借金の話を
すると、運命立てかえの話を聞かされ、「あなたの心と行いが
天地の法則に合うかどうかで運命が変わっていきます」と教え
られました。期待していたような話ではありませんでしたが、
運命は自分で切り拓いていかねばならない、と青年は肝に銘じ
ました。親孝行は天地の法則、と教わった青年は、父親に安心
してもらおうと何でも報告し、相談しました。父子の努力で
借金は完済できました。その後、応召、父の死、二十六歳での
社長就任、除隊、結婚、再応召、復員、家業復帰とめまぐるし
い歳月を過ごしました。そして、終戦直後青年は岐阜の闇市で
下駄の鼻緒が五円も六円もしているのに驚き、原価計算をして
みると、一円四十五銭でできることがわかりました。物資不足
の時代とはいえひどすぎると、青年は天下の東洋紡へ出向き、
「当方は麻を、貴社は布を出せば一円四十五銭でできる。それを
一円五十銭で納めるから、戦災者、引揚者に安く提供しましょう」
と申し入れ、実行しました。ただ働きともいえるこの仕事が世間
に評価され、事業は発展していきました。

以後も幾多の試練に見舞われましたが、すべてを神の恩寵的試
練と受けとめ、反省し、誓いを立て、道徳経済一体経営、すなわ
ち相手よし、国家・社会よし、自分もよしの三方よし経営を貫き、
多くの人を助け、社会に幸せの種をまきつづけました。見合いの
席で青年の屈託のない笑い声にひかれて結婚した妻は、「私の制
服はエプロン」と言って、家事、育児、従業員の食事作りに身を
粉にして働きました。五人の子どもたちも立派な社会人となり、
長男が社長を継ぎ、会社は近代メーカーとしてますます発展して、
業界でも揺るぎない地位を築きました。この三月初め、桃の花の
咲くころ、長谷虎紡績株式会社会長・長谷虎治さんは、多くの人
に惜しまれながら、優れた経営者、よき家庭人としての九十一年
の生涯を終えられました。簡素な本社屋で営まれた盛大な葬儀は、
長谷さんの生涯にふさわしいものでした。


本稿は、財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(5月号)誌に掲載 されている 廣池幹堂理事長の「巻頭言」で、ご本人の承諾をいただき掲載をしております。

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