| モラロジー研究所では、平成十六年十月十日、愛媛県教育委員会はじめ多数のご後援をいただき、「家族のきずな・ふれあいフェスティバル」(「第十六回全国生涯学習フェスティバルまなびピア愛媛2004」の参加事業)を松山市の愛媛県県民文化会館で開催しました。
これに先立ち、「家族のきずな」をテーマにエッセイ作品を募集しまし たところ、一万七千二百八十編ものご応募をいただきました。約千七百人 の方が参加してくださったフェスティバルでは、文部科学大臣奨励賞、 愛媛県知事賞などの優秀作品の発表と表彰を行いました。 どの作品も家族を大切に思う気持ちにあふれていて、胸を打たれました。 その後、柔道家の古賀稔彦さんに「夢・目標にチャレンジ家族のきずな」と題して講演していただきました。古賀さんは1992年のバルセロナ五輪の金メダリストで、アテネ五輪では全日本女子柔道チーム強化コーチとして谷本歩実選手を金メダルに導いた人です。 講演は感動的でした。 佐賀県生まれの古賀さんは、小学一年生から柔道 をやり、中学進学と同時に上京、世田谷区の「講道学舎」に入門し、高校 時代には数々の全国大会を制覇、日体大時代には「平成の三四郎」と異名 をとります。そして88年、全国民の期待を背負ってソウル五輪に出場しま すが、三回戦で思わぬ敗退。ソウルヘの出発時と違って、帰国した古賀さん を迎える人は少なく、古賀さんは人間不信に陥り、自室に引きこもってし まいます。自室で悶々としていたとき、テレビでソウル五輪の総集編が放映され、 古賀さんは自分の負け試合を見ていました。 その後、カメラが動いて観客 席のご両親を映しました。古賀さんは、親はいつでも自分を見てくれてい るものと思っていましたが、違いました。ご両親は古賀さんに背を向け、 周りの方々に頭を下げて、一生懸命にわびていたのです。ショックを受け た古賀さんは、「おれが柔道を始め、おれが練習して、おれが強くなって、 おれがオリンピックに出て、おれが負けて、おれが落ち込んでいるんだと 思っていたが、考え違いだった。戦っていたのは自分一人ではなかった。 親、仲間、純粋に応援してくださる人たち、自分が負ければ自分以上に悔 しがってくださる人たちがいた。この人たちにこんな思いをさせてはなら ない。いつまでも悲劇の主人公でいてはならない。次のオリンピックで金メダルという形で恩返しをするんだ」と決意するのです。 そのバルセロナ五輪では、試合の十日ほど前に吉田秀彦選手と乱取り稽古中、左ひざ靭帯損傷という大ケガを負いますが、古賀さんはご両親や多くの人々の支えを感じ、痛みをこらえて戦い抜いて、決勝は僅差で判定勝ちをします。天に向かって雄叫びをあげる姿は、日本の全国民を感動させました。 古賀さんの講演を聞いて、家族のきずなこそ夢や目標達成の原動力なのだと、あらためて思いました。 本稿は、財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(12月号)誌に掲載 されている 廣池幹堂理事長の「巻頭言」で、ご本人の承諾をいただき掲載をしております。 |
| 11月 | 12月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 |
| 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 |
| 11月 |