| 昨年十一月、インド哲学の第一人者、麗澤大学の我妻和男教授と コルカタ(旧名カルカッタ)で行われた印日文化センターの起工式 に行ってきました。 コルカタでは詩聖タゴールの生家やマザー・テレサの修道院も訪 ねましたが、とりわけ印象に残ったのは「ネタジー・ババン」すなわち "ネタジー(指導者)"の名で呼ばれるスバス・チャンドラ・ボースの記 念館(ババン)です。ここでは、ボースの甥の奥さんで、元国会議員の クリシュナ・ボースさんに歓待していただきました。 チャンドラ・ボースは、マハトマ・ガンディーと共に反英闘争に身を 投じますが、「非暴力」のガンディーとは挟を分かち、武力闘争の指 導者となります。「敵の敵は味方」と考え、第二次世界大戦勃発後に インドを脱出、ドイツに亡命し、ドイツから決死の覚悟で来日して、 昭和十八年十一月、東京で行われた大東亜会議に参加します。 東条英機首相主催の大東亜会議は、アジアで最初の最大のサミット と言えます。出席者は日本の東条首相、中華民国の江兆銘院長、 タイのワンワイタヤコーン殿下、満洲国の張景恵総理、フィリピンの ラウレル大統領、ビルマ(現ミャンマー)のバー・モウ首相、そして陪 席者として自由インド仮政府のチャンドラ・ボース首班。 渡部昇一上智大学名誉教授は、『これこそ新しい世界史の出発と なった舞台であった。日本が大戦争に突入したのは、生存のための 自衛戦争であったのみならず、アジアの解放、諸民族の完全独立、 植民地状態からの復興であり、これさえ実現すれば、日本は他の野 心なく、戦争終結の用意があることを世界に、また後世に明示するこ とになったのだ。……大東亜会議は白人の世界支配四百年の歴史 に公式に終止符を打つものだった」と述べています。 (平成16年11月18日産経新聞「正論」) この席でボースは、英国の圧政を憤り、「今、われわれは、日本と いう無敵の友と各代表の支援を得て、解放の日近きことを確信して、 戦場に赴かん、とするものであります」と語ります。 (深田祐介著『大東亜会議の真実』PHP新書より) その後、ボースは日本と共に戦い、日本の敗戦後はソ連に亡命しよ うとしますが、台湾の空港から飛び立った飛行機が墜落して、帰らぬ 人となります。 そして今インドの国会議事堂の正面にボース、その右にガンディー、 左にはネルー(初代首相)の肖像画が掲げられています。 今日、ボースは、「インド独立の第一の英雄」と評価されています。 クリシュナさんは、「ボースが友とした東条首相のお孫さんにお会いし て、お礼を述べたい」と言われました。私は、ほとんど語られてこなか った歴史の一面を知って感動し、さわやかな気持ちで帰国しました。 本稿は、財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(2月号)誌に掲載 されている 廣池幹堂理事長の「巻頭言」で、ご本人の承諾をいただき掲載をしております。 |
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