二つのバンドン会議』
モラロジー研究所理事長
廣池学園理事長
廣池幹堂
1955年4月、インドネシアの都市バンドンに、アジアとアフリカの独立新興国を
中心に29か国のトップが集いました。有色人種だけの史上初のこのアジア・
アフリカ会議は、「バンドン会議」と呼ばれました。今年4月、バンドン会議50周年
を記念するアジア・アフリカ会議が同国の首都ジャカルタで開かれ、約90か国の
首脳や代表が出席しました。そこで小泉首相は、「日本の植民地支配と侵略」に
ついてあらためて謝罪しました。
 50年前はどうだったでしょう。当時は冷戦の最中で、資本主義の米国を頂点と
する西側と、共産主義のソ連による東側の二つの陣営が対立していました。
インドネシアのスカルノ大統領、中国の周恩来首相、インドのネルー首相、エジ
プトのナセル大統領らは、東西対立の草刈り場になることに危機感を持ち、彼ら
の訴えで、米ソのどちらにもつかない非同盟主義のバンドン会議が実現しました。
ここで、国連憲章の尊重、国家の主権尊重、民族の平等などの「バンドン十原則」
が宣言されました。
 この会議に特命全権大使として赴いた故・加瀬俊一さんは、こんな話を残され
ています。「……その会議に行くとね、あちらこちらから、アフリカの代表、アジア
の代表が出て来てね、『よく来たね!』『日本のおかげだよ!』と大歓迎でした。
それは『日本がアジアのために犠牲を払って戦っていなかったら、我々は依然と
して、イギリスの植民地、オランダの植民地、フランスの植民地のままだった。
日本が大きな犠牲を払ってアジア民族のために勇戦してくれたから、今日のアジ
アがある』ということだった」。握手攻めで手がしびれるほどだったそうです。
 加瀬大使を握手攻めにした人たちは、大東亜戦争のときだけでなく、日露戦争
からの日本の健闘を称えたのではないかと思います。日露戦争では、南下、拡
大を続ける世界最大の白人国家に、黄色人種の小国日本が挑み、勝ちました。
 この奇跡的な勝利が、有色人種を縛っていた、白人にはかなわないという呪縛
を解いたのです。もし日本が負けていたら、アパルトヘイト(人種差別政策)は今も
続いていたかもしれません。大東亜戦争には負けたとはいえ、これを機に戦後多
くの非白人国家が悲願の独立を果たし、今日のような国際社会が生まれたのです。

 歴史を変える貢献をした日本は、好んで戦ったのでしょうか。明治天皇に次の
ような御製があります。
  よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ(明治三十七年)

 このような天皇の心を心としてきた日本人は、平和を愛する国民でした。
日露戦争も、大東亜戦争も、自衛のためにやむなく立ち上がったのです。戦後
六十年のこの夏も、平和の礎となった英霊を祀る靖國神社に、謹んで参らせて
いただきたいと思っています。


本稿は、財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(8月号)誌に掲載 されている 廣池幹堂理事長の「巻頭言」で、ご本人の承諾をいただき掲載をしております。
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