久しぶりに日本映画を見る機会がありました。江戸時代の東北の小藩を 舞台にした藤沢周平原作の『蝉しぐれ』です。
主人公は下級武士の牧文四郎。明治の初め、英国の女性旅行家イザ ベラ・バードが「東洋のアルカディア(桃源郷)」と絶賛した、まさにそんな
美しい日本の風景から映画は始まりました。 この物語の第一の軸は、世継ぎ問題をめぐる藩内の主導権争いです。
藩主の正妻の子を立てる横山家老派に協力した文四郎の父・助左衛門 は、妾腹の子を立てて藩政を牛耳ろうとする里村家老派に謀反人として
切腹を命じられます。その前日に文四郎は助左衛門に会います。父は 子に言います。私欲のためではなく、義のためにやったこと、「わしを恥
じてはならん」「はげめ」と。父の言葉は、家禄を減らされ、過酷な生活を 余儀なくされた文四郎を支え、彼は誇りを失うことなく剣の修行に励んで、
立派な武士になります。 物語の第二の軸は、かつては兄と妹のような関係だったが、いつしか
互いに恋情を抱くようになった文四郎とふくの悲恋です。ふくは藩の江戸 屋敷づとめとなり、藩主の寵愛を受けて子を宿しますが、里村派の画策
で流産し、その後再び子を宿して国もとの樫御殿で産みます。ふくと子の 存在を不都合と考える里村は、母子をさらう役を文四郎に命じ、父親と同
じ横山派の文四郎がふくと子をあやめ、犯人である文四郎をわれわれが 誅したという形にしようと謀ります。しかし、文四郎の働きで母子は助けら
れ、里村派は失脚します。ふくは城奥に入り、文四郎の手の届かない遠 い存在になります。
二十余年後、助左衛門を襲名した文四郎は、藩主が亡くなったのを機 に尼寺に入ろうとするふくに会います。そのときふくは、秘めていた思い
を打ち明けます。「文四郎さんのお子が私の子で、私の子どもが文四郎 さんのお子であるような道はなかったのでしょうか」。文四郎は言います。
「それができなかったことを、それがし、生涯の悔いとしております」。思い
を確認し合った二人は、二度と会うことはない別々の人生に踏み出して いきます。蝉がしきりに鳴いていました。
人生の不条理と二人の運命に涙して外に出ると、騒音の現代が待って いました。今はすべてが便利になり、携帯電話などで簡単に連絡を取り
合うことができます。文四郎とふくの時代に比べて、私たちはなんと恵ま れた時代に生きていることでしょう。しかし、心と心の交流は深まっている
でしょうか。出会い系サイトで知り合った男女が軽い気持ちで直接会って、 犯罪事件を引き起こすことさえあります。通信手段の発達につれて、人々
の心はますます貧しくなってきているのではないでしょうか。 『蝉しぐれ』は、私たちが忘れていた、人を思う純粋な心を思い出させて
くれます。インターネット世代の、一人でも多くの若い人たちに見てほしい と思いました。
本稿は、財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(11月号)誌に掲載
されている 廣池幹堂理事長の「巻頭言」で、ご本人の承諾をいただき掲載をしております。
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