| 四方を海に囲まれたわが国にとっても、領土や領海の問題は 決して他人事ではありません。最近の海底資源の間題などは 国益に関わる重大問題ですが、一般の国民はあまり関心を持
たず、その深刻さを認識していないのではないでしょうか。維 新期の幕府の役人・川路聖謨(かわじとしあきら)の、命がけの 国境交渉を忘れてはいけないと思います。 豊後日田(大分県)代官所の下級吏員の子に生まれた聖謨 は、江戸・小普請組の川路家の養子に入り、刻苦勉励して異 例の出世をとげ、勘定奉行と海防係を兼任、列強との外交交 渉に当たります。 北方領土の国境交渉のため来航したロシア使節プチャーチ ンいわく、「日本千島の内、南は日本、北は我国にて支配致し 候。当今日本においては、エトロフは、何れの所領と心得られ 候や」。北方領土を日本はどのように認識しているかと間われ て、川路は答えます。「千島列島は全島わが国のもの。この事 実は貴国の人も知っている。かつて貴国のゴロウニンがウルッ プ島をもって日露の国境とすると契約、以来、わが国は択捉島 には番所を設けて管理してきた。よってわが国の領土であるこ とは疑いようのない事実」。先例を出されてプチャーチンは慌 て、ゴロウニンが政府の使臣ではなく、自分の判断でそうした ことだと、この件の棚上げに精いっぱいでした。 次いで樺太問題。川路は、樺太の国境策定は実施調査を 行ってから確定すべきで、そのためには数年が必要と主張し ます。一方、プチャーチンは、期限を設定し、それまでに目処 を立てなければ樺太に入植を始め、全島をロシア領にしてし まうこともあり得る、と圧力をかけます。「さてさて無理なる事を 申され候」と川路は烈しく応酬します。「わが国の領土たること は明らかであるのに…:一方的に期限を切って入植するなど と妄言を放つ。これではまっとうな議論は成り立たない。交渉 は打ち切ろうではないか」。その剣幕にプチャーチンはおののき、陳謝します。事実を踏まえない脅しに、川路は敢然と立 ち向かったのです。随行したゴンチャロフは、川路の聡明さを 称え、川路が話すと「その時の彼の両眼は理智に輝いていた」 と書き留めています。 大国ロシアにとって当時の日本は極東の弱小国、これほどの 人材がいようとは信じ難いことだったでしょう。かくて日露和親 条約は調印され、国境交渉の成果は川路が主張したとおりの 内容が明記されます (占部賢志著『続 歴史の「いのち」』 モラロジー研究所刊参照)。 百五十年前に下田で結んだこの条約こそ、国境に関するわ が国初の国際条約であり、今日の北方領土間題に関する日 本の正当性の根拠になっています。条約調印の日は新暦に 換算すると二月七日。この日が今日の「北方領土の日」です。 私たちは、命をかけて領土を守った先人たちに思いを馳せ、 その苦労と努力を無にしてはならないと思う昨今です。 本稿は、財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』2006(6月号)誌に掲載 されている 廣池幹堂理事長の「巻頭言」で、ご本人の承諾をいただき掲載をしております。 |
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