『誠の人生』
モラロジー研究所理事長
廣池学園理事長
廣池幹堂
 先日、八十四歳になられる小野田寛郎さんにお会いしました。背筋を伸ばした凛としたお姿、にこやかなお顔、時折キラリと光る優しい目、そして謙虚な話しぶりに、ルバング島(フィリピン)での三十年にも及ぶ過酷な体験は想像することができないくらいでした。
 小野田さんは陸軍中野学校二俣分校で教育を受け、「できる限り生きて任務を遂行する中野魂」を教わりました。
戦略戦術の原理原則を体得するも、その精紳は自由奔放、融通無碍であることが求められました。
 昭和十九年十二月、同期生とフィリピン戦線へ送られますが、「小野田見習士官はルバング島へ赴き、同島警備隊の遊撃戦を指導せよ」「玉砕は絶対に許さん」との命令を受け、ただ一人、ルバングに着任します。・
 淡路島の三分の一ほどのこの島には約二百人が駐屯していましたが、二十年二月、アメリカ軍の猛攻で壊滅します。八月には終戦となり、生き残った人たちは投降しましたが、小野田さんは戦争が続いていると判断、敵の只中にあって生き続け、戦い続ける残置諜者の道を選びます。日本軍の反撃に備えて敵の情報を探り、時に後方を撹乱して敵の戦力を分散させようとしたのです。二人の部下が同調し、武器、弾薬、食糧などの装備を担いでジャングルを転々とする生活が始まりました。部下の一人は九年後、もう一人は二十七年後に亡くなり、小野田さんは一人きりになりましたが、残置諜者としての使命に生き続けました。
 昭和四十九年三月九日、元上官が直立不動の小野田さんに任務解除と戦闘停止の命令を下達、小野田さんの戦争は終わりました。日本は戦争に負けましたが、小野田さんは負けませんでした。事実、処刑覚悟で「投降」したときも、武装解除をされることはありませんでした。マルコス大統領は肩を抱いて言いました。「あなたは立派な軍人だ。三十年間もジャングルで生き抜いた強い意志は尊敬に値する。われわれは、それぞれの目的のもとに戦った。しかし、戦いはもう終わった。私はこの国の大統領として、あなたの過去の行為のすべてを赦します」。軍人としての使命を全うした小野田さんの帰国を、フィリピンの軍楽隊は同国国歌、君が代、そして小野田さんの第二の誕生を祝うハッピーバースデーの演奏で送りました。
 帰国した小野田さんは、戦後日本の空気に馴染めず、ブラジルに渡って牧場経営を始め、奥様の協力を得て軌道に乗せます。昭和五十五年の「金属バット殺人事件」をきつかけに、日本の子どもたちに強さと優しさを育てたいと小野田自然塾を設立、福島県の山問に専用キャンプ場を完成させ、ブラジルと日本を行き来する生活をするようになります。座右の銘は「不撓不屈」。激動の時代にあって誠の
人生を生きぬいてきた稀有な日本人にお会いして、無上の喜びを感じました。

本稿は、財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』2006(9月号)誌に掲載 されている 廣池幹堂理事長の「巻頭言」で、ご本人の承諾をいただき掲載をしております。
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