| 最近読んだ本に、興味深い話がありました。 アメリカのある裁判官が自分の家の板塀をつくろうとして、「材料はこちら持ち、一ドル半の手間賃だけでこしらえてもらいたい」と広告を出しました。この条件で受けてくれる人はなかなかいませんでしたが、一人、やりましょうと言ってきた者がありました。 裁判官が「荒削りでざっとでいい。一ドル半しか出さないのだから」と言うと、男は承知して仕事にとりかかりました。仕事の様子を見ると、実に丁寧に、念には念を入れてきれいに削っています。 裁判官が役所に行って帰ってくると、板塀がちゃんとできあがっていて、しかも立派なものでした。これなら、もう半ドル増しにしてくれと言うに違いないと思い、裁判官は先手を打ちました。 「念の入れすぎだ。こんなに丁寧にしてくれとは頼まなかったはずだ」。そこから二人はこんなやりとりをします。「丁寧にしては悪かったですか」「別に悪いわけじゃないが、いくら念を入れてしてくれても、約束通り一ドル半しか金は払わないよ」「はい、結構でございます」「こんなに手間をかけて損ではないか」「損は損かもしれませんが、安いからといって仕事を粗末にすると、賃金を損した上に、自分の良心を損しなければなりません。 大工として仕事する以上、仕事に精魂打ち込んで、自分でよくできたと満足しないと私の気が済みません。賃金が安いからといって、いい加減な仕事をすると、賃金を損した上に、私の性根まで損しますのでね」 これを聞いた裁判官は、いい心掛けの大工だと、その後、裁判所を建てるときに、もっとも信用ある大工としてこの男を推薦したといいます。 この話は渡部昇一著『人生を創る言葉』(致知出版社)で紹介されている、オリソン・マーデン博士の本にある話です。渡部先生はこう綴られています。 「日本には『損して得とれ』という言葉があるが、先に損をしても、それが巡りめぐって大きな得をつれて来るということは現実にあるようだ。ただし、最初から得を期待していては駄目で、この大工のように、手を抜くと自分の気持ちが悪いからといって一生懸命に働く心掛けが大切なのだろう。 そういう姿勢を見ている人がいて、ひそかに評価してくれる。それが何かの機会に徳となって戻ってくるのかもしれないのである」 政界や財界、役所や民間企業の不祥事を見聞するにつけ、この話を思います。何事においても、目に見えるところだけでなく、目に見えないところでも、自己の良心、道徳心に従って、ごまかすことなく、手を抜くことなく、誠実に、心を込めて行うことが大切でしょう。それは一見、損なやり方に思われるかもしれませんが、真実はその反対です。 いつ、いかなる時代、いかなる場合にも、至誠一貫に勝る生き方はないことを銘記したいと思います。 本稿は、財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(2006年10月号)誌に掲載 されている 廣池幹堂理事長の「巻頭言」で、ご本人の承諾をいただき掲載をしております。 |