| 今から四百年前、近江国(滋賀県)小川村の、大きな藤の木のある農家に、中江藤樹(1608ー1648)は生まれました。 藤樹は、九歳のときに武士である祖父の養子となって米子(鳥取県)へ行き、十歳のときに城主の国替えで伊予(愛媛県)の大洲へ移り、勉学に励みます。求道心の強い藤樹は、十一歳のときに孔子の教えを説いた『大学』の一節を読んで衝撃を受けます。その一節とは、「天子ヨリ庶人ニ至ルマデ、壱是二皆身ヲ修ムルヲ以テ本トナス」 藤樹はその後も四書(『大学』『中庸』『論語』『孟子』)を学び、聖人たらんとする志に生きるようになります。自分を高めようとする真摯な姿勢は周囲の人々を感化し、藤樹のもとにたくさんの人が学びに来るようになります。 聖賢の書で一孝は徳の本なり」と悟った藤樹は、夫を亡くし小川村で寂しく生きる母に孝養を尽くそうと、二十七歳のとき、大洲藩の郡奉行を辞して故郷に帰る許可を藩主に得ようとしますが、有能な藤樹を手放すことはできないと許可がおりません。そこで藤樹は、葛藤の末に脱藩の道を選び、地位を捨て、命を捨てる覚悟で小川村に帰ります。藩命を負って討手がやってきますが、藤樹の孝心の深さに打たれ、藩主に助命嘆願する一人になります。以来、藤樹は、親孝行と社会奉仕、そして門人たちとの学びの日々を過ごし、四十一歳で亡くなります。 人間はだれでも美しい道徳的な心を持っている。それを[良知」と言い、「致良知(良知に致る)」の道筋は「五事を正す」にある、と藤樹は説きました。五事とは、貌、言、視、聴、思。この五つを正すとは、和やかな顔つきで人に接すること、思いやりのある言葉で話すこと、温かな澄んだまなざしで人を見ること、耳を傾けて人の話を聴くこと、まごころを込めて相手のことを思うことです。この修練によって良知に達し、良知に従って生きれば、だれでも立派な人になれる、と藤樹は教え、みずから実践して、のちに「近江聖人」と称されるようになります。 藤樹が没して360年、多くの日本人はその存在を忘れていますが、藤樹の地元(現在の滋賀県高島市安曇川町)には藤樹神社や近江聖人中江藤樹記念館があり、今も人々から慕われています。 この二月、モラロジー研究所は『未来をひらく人間力---「心を磨く」新入社員心得帖』を発刊しました。この本は、社会人としての基本的なマナーや仕事能力の向上をめざすだけでなく、他の人と共に幸福な人生を歩むための「心の基礎力」の育成に重点を置き、そのヒントとなる事例として藤樹の「五事を正す」をコラム欄で紹介しています。 コラム欄には「天国と地獄の食事風景」という道話も載せています。それは---地獄の住人達のテーブルにはご馳走が並んでいますが、渡されるのは一メートルもある長い箸。その箸でわれ先に食べようとするのですが、食べ物を口に入れることができません。目の前にご馳走があるのに食べられず、住人たちはもがき苦しみ、体はやせこけ、まさに地獄絵そのものです。一方、天国の住人たちのテーブルにもご馳走が並び、地獄と同じように長い箸が置かれています。状況は同じなのに、皆おなかいっぱい食べ、血色がよく、ニコニコしています。天国では皆が「お先にどうぞ」と、長い箸で前に座っている人の口にご馳走を入れてあげるのです。 この道話にある地獄絵の中に、物に恵まれながら家族が傷つけ合うという現在の日本の姿の一面を見る思いがします。藤樹のように徹底して五事を正し良知に達することはできなくても、一人ひとりが道徳的な心を少しずつでも養っていけば、殺伐とした世にあっても、天国の入り口ぐらいは見つけられるのではないでしょうか。優れた先人の魂に触れて感化を受け、先人が残した道話に照らして自己を省み、日々、心と行いを正していきたいものです。 本稿は、財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(2007年3月号)誌に掲載 されている 廣池幹堂理事長の「巻頭言」で、ご本人の承諾をいただき掲載をしております。 |