| 満開の桜から新緑へ、そして青葉へと、今年も四季の移ろいには変わらぬ美しさがありました。しかし、最近の日本人は、美しい自然を大切に守り育ててきた先人たちの思いを忘れてしまったかのようです。明治以来、日本にやってきた欧米人等が感嘆した美しい風景と、人々の思いやりあふれた親切な行為は、もう過去のものなのでしょうか。日常のマナーの低下は言うに及ばず、家族問で多発する凶悪事件には言葉を失うばかりです.日本人の心には大きな穴があいてしまったようです。 戦後六十二年の今年、昭和天皇の誕生日が「みどりの日」から「昭和の日」となりましたが、「昭和は遠くなりにけり」で、人々の関心も薄いようです。 昭和の時代は、日本の歴史上、未曾有の激動期でした。大恐慌から満洲事変、大東亜戦争、原爆投下、敗戦を経て、平和日本の建設と世界第二位の経済大国を実現しました。「昭和の日」は、戦争の悲惨さと平和のありがたさ、そして経済発展という苦難の成果を忘れまいとして制定され、昭和の御代を後世に伝えることを決意したものだと思います。 だれよりも世界の平和と国民の幸福を望まれた昭和天皇のご心痛は、いかばかりだったでしょうか。日米開戦やむなしとの御前会議で口にされた明治天皇の御製「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」や、終戦のご聖断に天皇のお人柄が偲ばれます。 昭和天皇が範とされた明治天皇が数え年十六歳で第百二十二代天皇に即位されたのは、今から百四十年前です。 幕末から明治の時代もたいへんな激動期でした。産業革命で富と力を得た欧米列強が強大な軍事力を背景に海外に乗り出し、アフリカ、アジアなどの国々が次々と植民地にされました。その波は日本へも押し寄せ、ペリーが軍艦四隻を率いて浦賀に来航、大砲で脅して開国を迫りました。徳川の幕藩体制ではこの危機は突破できないと、朝廷中心の新体制を望む声が高まり、国論が沸騰しました。そんな狂乱怒濤の中で、明治天皇は皇位をお継ぎになられたのです。 慶応三年(一八六七年)十月、徳川慶喜が征夷大将軍の地位を朝廷に返上(大政奉還)、朝廷は王政復古の大号令を発し、天皇を中心とした新政府を組織することを宣言しました。翌四年(明治元年)三月、明治天皇は天地神明に誓うという形で新しい国の方針を表明されました。「五箇条の御誓文」です。 一 広く会議を興し、万機公論に決すべし 一 上下心を一にして、盛に経論を行ふべし 一 官武一途庶民に至る迄、各其志を遂げ、人 心をして倦まざらしめんことを要す 一 旧来の陋習を破り、天地の公道に基くべし 一 智識を世界に求め、大に皇基を振起すべし どの一行も私心や野心などは微塵もなく、皆で力を合わせ、道徳にかなった国づくりをしていこうという深甚なる思いが込められています。 以来、東京遷都、版籍奉還、廃藩置県、学制発布、帝国憲法発布、帝国議会の開設、教育勅語の制定と、新政の施策が次々と進められ、日清・日露の両戦役を経て、わが国はわずか半世紀の問に近代国家へと発展を遂げました。 世界史の奇跡と言われる明治維新、そして日本の近代化は、志ある武士たちによって成し遂げられました。版籍奉還、廃藩置県は、武士の失業を意味しますが、それを承知で挺身したのは、彼らが「私」よりも「公」を優先する強い道徳心を持っていたからです。その大本は明治天皇の崇高無私なご人格にありました。 バブル崩壊後も、平成の世は、自己中心、カネ中心の考え方が依然として変わらず、家族の絆や他人への思いやりはますます欠落してきています。今こそ歴史を振り返り、明治天皇、昭和天皇、そして多くの先人たちが守り育ててきた、世界に誇る美しい心を取り戻したいものです。 本稿は、財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(2007年7月号)誌に掲載 されている 廣池幹堂理事長の「巻頭言」で、ご本人の承諾をいただき掲載をしております。 |