| この二月、五年ぶりにアメリカへ行き、米国モラロジー協会の皆さんに温かいおもてなしをいただきました。渡米の目的の第一は、カリフォルニア州ギルロイ市にある内田善一郎さんのお墓参りをさせていただくことでした。協会理事長であられた内田さんは、一昨年三月、八四歳でなくなられました。長男のテッド誠一郎さんに伴われて行ったお墓には、「戦後移民の父内田善一郎」という碑銘 が刻まれていました。 鹿児島県に生まれた内田さんは、軍隊に入ってニューギニア戦線で九死に一生を得、戦後は県の青年代表として渡米、アメリカの民主主義やオープンな国民気質に感銘します。同時に、戦争に負けたといえ、日本人はアメリカ人に劣らないすばらしいものを持っている、それをアメリカの人々に伝えたいと、移民として渡米を決意、サンフランシスコ郊外のサリナスで花卉栽培を始めて成功します。 1924年に成立していた排日移民法によってアメリヵへの道は閉ざされていましたが、内田さんは日米両国の政府に嘆願活動を続け、昭和三十年から数年間で、千名を超える人を鹿児島からアメリカに送ります。移民の人たちは、日本人としての誇りを持ち、勤勉、正直、感謝、和の精神など、日本人本来の美質を発揮して努力を重ね、その結果、「排日」は「拝日」に変わっていきます。 内田さんの著『鍬で大陸をとり-----私の半生記』に序文を寄せている作家の石川好氏は、「内田氏らが、『排日移民法』の壁を突破し、アメリカに送り込んだ日本人移民の数は、縁者を合計すれば万の数になるであろう。そして、この万の数の日本人の労働によって、戦後の日本人移民社会がカリフォルニア州に再 び成立し活気づき、やがて日本のビジネス社会が出来上るための呼び水ともなって行くのである」と記しています。 移民運動の推進、日米交流と産業発展への貢献により、内田さんは他界された年の四月に日本政府から旭日双光章を贈られました。太平洋の懸け橋たらんとの志を貫いた内田さんの口癖は「太平洋は水たまり」。その広大な精神を墓前で思い出しました。アメリカでは、私が三十年前に訪ねたUCバークレー(カリフォルニア大学バークレー校)とUCアーバイン(カリフォルニア大学アーバイン校)に足を伸ばしました。バークレーは1868年に設置された州立大学で、巨大なキャ ンパスと幅広い研究・教育で知られ、四十人を超えるノーベル賞受賞者を出しています。アーバインは、1965年にアーバインカンパニーから贈与された土地に設立された総合大学です。三十年前は小さな大学でしたが、今や立派な施設・環境を備え、学生数は三万人を超えています。両校を訪ねて、アメリカの底力というものをあらためて感じました。翻ってわが国は、政治、経済、教育の各分野 で揺らいでいます。内田さんのような真のリーダーが現れることを願うばかりです。 本稿は、財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(2008年5月号)誌に掲載 されている 廣池幹堂理事長の「巻頭言」で、ご本人の承諾をいただき掲載をしております。 |