| 昨年、兵庫県のNさんが八十九年の生涯を終えられました。いつお会いしても穏やかで、にこやかで、人間として、女性として、凛とした気品を漂わせ、それはNさん自身の生き方そのもののようでした。知的好奇心が旺盛で八十歳ごろからパソコンを始め、私も電子メールの交換をしました。廣池学園の四季の様子などをお伝えすると、たいへん喜ばれました。数少ない「メル友」を失い、寂しい かぎりです。 大正六年、長崎市に生まれたNさんは、仕事の関係で同地方に来ていたご主人と知り合い、結婚します。ご主人は、モラロジーの創建者・廣池千九郎が千葉の柏に設立した道徳科学専攻塾の別科に学んでいて、昭和二十二年の結婚当時はモラロジー研究所に奉職していました。二人の新生活は、研究所内の四畳 半二間の住宅で始まります。およそ二年、研究所で生活し、この間、長女が生まれます。その後、ご主人が元の勤務先である大阪の船会社に戻り、一家は関西に居を移します。 Nさんは妻として夫を支え、母として長女とその後生まれた長男を育てながら、寸暇を惜しんで本を読み、各種のミニサークルをつくっては人のお世話をしました。昭和四十九年、ご主人がモラロジー事務所の主任(現在、代表世話人)を受けたときは、心から喜び、縁ある人々の幸福のためにますます献身的な努力を傾けました。 昭和六十年、Nさんは高知県の方と二人、女性として初めてモラロジー研究所の社会教育講師に就任、女性講師の草分けとなります。以来、二十一年間、講師として活躍し、全国各地で講義や講演をします。すっくと立つ姿、よく通る澄んだ声、心のこもった明快な話は、聴く人の心を打ち、生きる希望と勇気を与え ました。 活躍の場は国内にとどまらず、十一回にわたって台湾へ赴き、台北の女性方と親交を深めるとともに、現地の女性モラロジー活動の基礎づくりに尽力しました。平成八年十一月、モラロジー研究所で第一回女性全国大会が行われ、およそ五千名の女性が集いました。Nさんはこの画期的な大会の副委員長を務め、みごとに大任を果たしました。 長崎に生まれたNさんは、昭和二十年八月九日朝九時、佐賀に疎開していた祖母を見舞うため、長崎駅から列車に乗りました。その二時間後に原爆が落とされるのです。世のため人のために生涯をささげようとする生き方は、このときに決まったのかもしれません。 Nさんは、結婚して四年の長男を交通事故で失い、阪神・淡路大震災に遭遇し、さらに長男の嫁を病気で亡くします。しかし、すべてを神の恩寵的試練と受けとめ、どのようなときでも笑顔を絶やさず、凛として生きぬかれました。 人間は心構え一つでどんな困難にも耐えられるこの事実を立派に証明した、すばらしい生涯でした。 本稿は、財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(2008年7月号)誌に掲載 されている 廣池幹堂理事長の「巻頭言」で、ご本人の承諾をいただき掲載をしております。 |