| 日本人移住者七百八十一名を乗せた笠戸丸がブラジル・サントス港に入港したのは1908年(明治41年)六月十八日。その第一回の移住から百周年に当たる今年六月の同日ルラ大統領主催の記念式典が首都ブラジリアの大統領府で開か れ、日伯交流年名誉総裁の皇太子殿下が出席されました。 十八世紀末、ブラジルには百万人ほどの黒人奴隷がいて、農園などの労働力として使われていました。1888年、奴隷制度が廃止されると、農園で働いていた人々は街へ移り住み、農園は極度の労働力不足となりました。そのころ、サンパウロ州では輸出目的のコーヒー栽培が盛んになり、農園は人手を必要とし、働き手 の移住をヨーロッパ諸国に呼びかけました。コーヒー栽培は当初、ヨーロッパからの移住者によって行われていたのですが、過酷な労働から離脱する人が多く、また第一次大戦が勃発すると、各国がブラジルヘの移住を停止しました。 それに代わる労働力がますます日本に求められるようになりました。 笠戸丸で渡った日本の移住者たちは大いなる希望を持って新天地に足を踏み出しましたが、ブラジルでは奴隷のような労働力を期待していました。コーヒー農園の仕事はつらく、手は荒れ、監視人からは鞭で打たれることもあったようです。一年後には、ほとんどの人が第二の新天地を求めて農園を出ていきました。そこから筆舌に尽くしがたい苦労が始まりましたが、移住者たちは勤勉、正直、礼節、感謝、和の心など、日本人本来の良き国民性を発揮し、誠実に働きましたので、「ガランチード・ジャポネース(信頼できる日本人)」と言われるまでになりました。 今日、ブラジルには約百五十万人の日系人がいて、それは人口比1パーセント弱ですが、その日系人の貢献なくして今日のブラジルの発展はなかったと言えましょう。 丸山康則・麗澤大学名誉教授が出された『ブラジル百年にみる日本人の力』(モラロジー研究所刊)には、社団法人ブラジル・モラロジー研究協会の森昇理事長、沼田信一相談役をはじめ、日系人十人の生きざまが描かれていて、感動します。中でも、サンパウロ大学名誉教授でブラジル日本文化協会会長の上原幸啓さんのお話は印象的です。サンパゥロ州には約百万人の日系人がいますが、ブラジルで最大規模のサンパウロ刑務所に収監されている日系人はただの一人だというのです。「だから、『ガランチード・ジャポネース』なんですよ」と上原さんは言います。 はたして、現代の日本人は、世界の国々に貢献し、日本人はすばらしい、と称賛され、心から歓迎されるでしょうか。私は、はなはだ疑間に思います。物心共に豊かになり、贅沢になり、利己的になった今日の日本人は、ブラジルに移住した日系人たちの百年の歩みに思いを馳せ、その足跡が示す誠実な生き方に学ぶことが大切ではないでしょうか。 本稿は、財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(2008年8月号)誌に掲載 されている 廣池幹堂理事長の「巻頭言」で、ご本人の承諾をいただき掲載をしております。 |