| 今年は明治維新から百四十年の年です。 幕末から明治初期に日本を訪れた西洋人たちは、日本の美しい田園風景を見て「東洋のアルカデア(桃源郷)」と称賛したり、身なりは貧しくとも親切で礼節正しい日本人の態度に、高い道徳性を感じとりました。子供たちが親に愛され、のびのびと遊ぶ姿を見て、「日本は子どもの楽園だ」とも言いました。(渡辺京二著『逝きし世の面影』平凡社参照)。 海外からの来訪者が称賛する日本は、江戸という時代の余韻が強く残る国でした。江戸は武士を中心に形成された社会で、武士道を心得る武士たちは礼節を重んじ、「私」よりも「公(公儀)」を優先しました。その生き方が庶民にも影響を及ぼし、外国人に称えられる姿となって現れたのです。 ジャーナリストの櫻井よしこさんが、先日、産経新聞に、「『武士の娘』が物語るもの」と題して、興味深い一文を書かれていました。「武士の娘」とは、戊辰戦争で敗れ、賊軍と見なされ、明治新政府の厳しい施政下に置かれた長岡藩の家老稲垣家に、明治六年に生まれた鉞子(えつこ)のことです。鉞子は結婚して貿易商の夫と米国で暮らし、二人の女児に恵まれますが、夫は病死します。 夫没後に銭子が著したのが『武十の娘』で、それは格調の高い美しい文体の英語で書かれ、のちに日本語、ドイッ語、フランス語などに訳されました。同書には、鉞子をはじめとする武士の娘たち、稲垣家の人々の武士としての一生がいきいきと綴られていて、鉞子は日本人の真髄を描いた女性だと櫻井さんは言います。 武士たる者がどのような価値観を体現していたか、櫻井さんは鉞子が描くエピソードで伝えます。 それは----戊辰戦争に敗れた家老、鉞子の父は捕らわれて江戸送りになります。ある雨の夜、一人の若侍が訪ねて来て、真夜中に家老を乗せた駕籠が城外を通る、その際に、奥方、つまり銭子の母に会見が許される、と告げます。見も知らぬ使いの者に母は問います。「御身は武士か」と。武士であると確認した母は、その者に従って、単身、暗夜の道に出ていくのです。 櫻井さんは綴ります。 「『武士である』ことが、どれほどの重い意味を持っていたかが、伝わってくる。卑怯な言動、振る舞いはしない、武士であれば騙しはしないとの揺るがぬ価値観が見えてくる。それがかつての日本人の生き方だった」と。 海外からの来訪者が称賛し、子供たちが安心して遊べる昔日の日本の基礎をつくったのも、世界史の奇跡と言われる明治維新そして近代化を成功させたのも、高い倫理観と強い責任感を持った武士たちだったのです。 現今の日本とは比べるべくもありませんが、かつてはこのような日本があり、日本人がいたということを、子供たちにしっかりと伝えていきたいと思います。 本稿は、財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(2008年11月号)誌に掲載 されている 廣池幹堂理事長の「巻頭言」で、ご本人の承諾をいただき掲載をしております。 |