| 春の京都で、すてきな日本女性と親しくお話しする機会がありました。着物姿で、身のこなしの美しいそのお方は、お茶のコマーシャルで有名な市田ひろみさん。輝く笑顔にだれもが魅了されますが、その陰に想像を絶するご苦労があったことを知って驚きました。 大阪生まれの市田さんは、父親の仕事の関係で小学校時代を上海で過ごしました。戦争も終章に近づいた昭和十九年の終わりごろ、家族への帰国命令が出て、残務処理を任された父親を残し、母親、十二歳の市田さん、二歳下の弟さんの三人で帰国することになりました。年が明けた二月、着の身着のままの旅は上海駅から始まり、北京までは父親がついてきてくれたものの、その間、汽車が機銃掃射を受けました。父親と別れた後は母子三人で瀋陽を通り、朝鮮半島を下って釜山へ、下関へ、そして母親の郷里の大津へと向かいました。闇、寒さ、恐怖、不安、空腹の十三日間の旅は、少女の市田さんに苛酷な現実を教えました。一方、家族の絆は強まりました。 母子はやがて京都に移り住み、二十一年二月に父親が帰国、二十三年に母親が美容室を開業し、市田さんも美容免許を取得しました。大学卒業後は、重役秘書、女優、美容師などを経て、服飾評論家として活躍するようになりますが、この間、筆舌に尽くしがたい苦労や困難がありました。そのとき心を支えてくれたのは、「泣いたら負けや。泣くぐらい悔しんやったら、勉強して見返したらええ」という母親の言葉でした。テレビで着付けコーナーを担当するようになったころ、身に覚えのない噂話に心を痛めましたが、母の言葉に背中を押され、図書館に通いつめて勉強しました。 その蓄積が今日の礎になっています。帰国後は国税局に勤めていた父親は、歴史、書道、俳句、和歌などの教養の師で、いつも口ぐせのように、「偉うならんでええ。信頼される人になれ」と言っていました。何かあると両親の教えに立ち返る市田さんは、「親は絶対の味方です」と言います。 服飾評論家、美容室社長などの本業のほかに、多くの公職を引き受け、休む間もない忙しい身ですが、その笑顔は太陽のように輝いています。京の親は娘に、「いつもにこにこしてなあかん。いやなことがあればあるときほど、なんにもいやなことあらへんいう顔してなあかん」と言うそうです。「私の笑顔は親が作ってくれました」と語る市田さんの笑顔を、多くの若者に見てもらいたいと思いました。 本稿は、財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(2009年5月号)誌に掲載 されている 廣池幹堂理事長の「巻頭言」で、ご本人の承諾をいただき掲載をしております。 |
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