『国民としての覚悟』
モラロジー研究所理事長
廣池学園理事長
廣池幹堂
 賛否両論渦巻く中で、裁判員制度が始まりました。これは、殺人や放火などの重大な刑事裁判に市民から選ばれた裁判員六人が参加し、三人の裁判官と共に被告の有罪・無罪、有罪の場合は量刑まで決める制度です。
 世論調査によると、多くの国民が「裁判員になりたくない」「どちらかといえばなりたくない」という消極派で、裁判員に選ばれた場合でも裁判に「参加したくない」と答える人の割合が半分近くあるようです。理由は「正しい判断をする自信がない」「人を裁くことに抵抗がある」などです。日本人の優しい性質を思うと、わからないではありませんが、私たちは法治国家を形成し警察や裁判制度をつくり、税金を払って運用しているのです。悪い人をとらえ、裁判にかけ、刑を執行するのは国として当然の義務です。その責任の一端を担うことを国から要請されたら、それに応えるのがこの国に生きる国民としての当然の義務でしょう。従来はなじみの薄かった裁判に参加できるということは、主権を持つ国民としての権利でもあるでしょう。裁判官は法律の専門家ですが、神様ではありませんから、正しい判断を常に下せるとは限りません。良識ある複数の常識人が加われば、より間違いのない判断がなされ、審理の迅速化も図れるでしょう。
問題は、法治国家に生きているという自覚もなく、投票に行ったこともない人があまたいるこの国の現状です。個人の自由や権利ばかりを強調してきた戦後教育の結果、自分勝手な人が増え、町内会の付き合いでさえ面倒だと拒絶する人が多くなりました。ましてや裁判などという面倒なことには関わりたくないという人がたくさんいても、不思議ではありません。凶悪犯罪が増加し、厳罰を求める声を大きくする一方で、裁判員制度はいやだ、関わりたくないというのでは、あまりにも身勝手です。民主主義国家の責任ある国民としての自覚が欠落しています。死刑を存続させているこの国に生きる覚悟があるかどうか、裁判員制度は日本人一人ひとりに間いかけているのではないでしょうか。この制度が定着するまでには、幾多の困難があり、長い時間がかかると思います。しかし、その過程で日本人は国民としての自覚と学びを深めていくことでしょう。さらに私は、戦後の経済復興や誤った教育によって埋もれてしまった日本人本来の良き国民性が、この制度をきっかけに復活・再生することを願っています。 
本稿は、財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(2009年7月号)誌に掲載 されている 廣池幹堂理事長の「巻頭言」で、ご本人の承諾をいただき掲載をしております。
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