『ジャパンデビュー』
モラロジー研究所理事長
廣池学園理事長
廣池幹堂
 今からおよそ百年前の明治三十四年八月、ロシアとの国家存亡を賭けた激戦の最中、これぞ日本武士道と世界に誇示した武人がいました。
 話は「日本海海戦」(日露戦争での最大の海戦。日本が海戦史上稀にみる完勝をおさめた)の一年前にさかのぼります。ウラジオストク(ロシア極東の都市)を母港とするウラジオ艦隊の神出鬼没な攻撃により、わが国は甚大な被害を受けていました。敵艦隊は朝鮮海峡に姿を見せたかと思うと、ある時は伊豆沖に現れ、日本の商船や輸送船を次々と襲っては通商破壊活動を行ったのです。
撃沈された船は数十隻、輸送船もろとも海底に沈められて将兵千余人の犠牲もでたといいます。
 この時、ウラジオ艦隊への攻撃という困難な任務を負ったのが、第二艦隊司令長官・上村彦之丞です。上村は艦隊を率いて広大な海原をかきわけ、連日ウラジオ艦隊を探し求めましたが、なかなか捕捉できずにいました。
無理もありません。偵察のためのレーダーもなければ、飛行機もない時代の話です。
 一方、こうした状況に憤慨した一部の人々は、上村を無能、露探(ロシアのスパイ)と罵り、東京の上村邸に石を投げる輩もいました。そのような状況の中、上村艦隊は血眼になって仇敵を探し続け、ついに八月十四日、朝鮮半島東南岸の蔚山(うるさん)沖でその姿をとらえます。五時間におよぶ激烈な砲戦の結果、上村艦隊は一艦を撃沈、二艦に壊滅的打撃を与えて大勝をおさめました(「蔚山沖海戦」)。日本中の重圧と期待を背負った上村以下、将校、兵士たちの燃える闘志のほねが伝わってきます。
 この後、驚嘆すべきことが起こります。非戦闘員を含む多くの日本人の命を奪った憎き敵艦が、まさに沈没せんとする際、上村は各艦に号令を発したのです。「溺れる者を悉く救助せよ」と。波間に沈みゆくロシア兵の姿を見るに偲びず、上村は救いの手を差し伸べ、全漂流者六百ニ十六名を救い上げました。さらに上村は全艦に「捕虜を厚遇せよ」と命じました。部下の復讐的対応を恐れてのことでしたが、参謀が艦底をのぞくと、水兵たちが負傷して横たわったロシア兵を取り囲み、手に手に扇子を開いて扇いでいたといいます。
 黄色人種の日本人を劣等民族とみなすなど、露骨な人種差別が行われた当時です。そんな民地支配が全盛の時代にあって、戦い終われば、同じ人間として敵味方もなしと、武士道精神を発揮した武人・上村彦之丞。これこそ世界に誇るべき日本人の美徳と言っていいでしょう。
 今、話題のNHKスペシャル「JAPANデビュー」でぜひ取り上げて、一人でも多くの人に知ってもらいたいと思います。
(参考文献/岡田幹彦著『東郷平八郎』展転社)


本稿は、財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(2009年9月号)誌に掲載 されている 廣池幹堂理事長の「巻頭言」で、ご本人の承諾をいただき掲載をしております。
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