『サムライスピリット』
モラロジー研究所理事長
廣池学園理事長
廣池幹堂
  サッカー世界一を決めるワールドカップ南アフリカ大会は、欧州の強豪国が予選リーグで敗退し、アジア・アフリカ勢が躍進する予想外の展開となりました。中でもわれら代表チームの健闘は、日本中を沸かせました。多くの国民が"国"を意識する機会となったのではないでしょうか。
特に印象深いのが、予選リーグでの対オランダ戦です。猛攻に次ぐ猛攻から必死にゴールを守る日本。その攻防を見ながら、ふと半世紀前に起きたもう一つの戦いを思い出しました。
 当時、地球の表面積のおよそ六割が欧米数か国の支配下にありました。中でもインドネシアは、三世紀半にわたりオランダの苛烈な植民地支配を受け、現地人は初等教育さえ受けられない「愚民化政策」のもと、コーヒーや砂糖など、欧州市場向けの作物を強制的に栽培させられていました。わずか○・五パーセントのオランダ人が、全生産額の六五パーセントを独占する収奪が続いたのです。
 そんなオランダ支配を終結させたのが日本でした。昭和十七年三月、今村均中将率いる日本軍がジャワ島に上陸、わずか十日でオランダ軍を降伏させます。電光石火の勝利の陰には、日本軍を歓迎して要所に築かれたバリケードを取り除き、積極的に道案内をするなどの現地人の協力がありました。
 日本軍はイスラム教の伝統を認め、農工技術を伝え、来るべき独立に向けて、現地人に行政官や義勇兵としての教育を施します。柳川宗茂中尉は昭和十八年、現地青年の軍事訓練を始めるにあたり、こう訓示しました。
 「諸君は選ばれたインドネシア青年として、一日一刻も早く我々から学び得るすべてのものを学び、強く、正しく新しいインドネシア青年に生まれ変わってもらいたい。そして諸君自らの手でインドネシアを解放してもらいたい。今日からは私が諸君の父だ」
 青年たちは感激し、猛訓練を耐え抜きました。日本敗戦後に幕を開けたインドネシア独立戦争では、一千人以上の日本軍人が現地にとどまり、彼らと共に戦いました。インドネシアの国立墓地には、特別の功労があった日本人が
手厚く葬られています。
 この八月、私は命を懸けて戦ったサムライを思い、一人の日本人として靖国神社にお参りしたいと思います。

本稿は、財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(2010年8月号)誌に掲載 されている 廣池幹堂理事長の「巻頭言」で、ご本人の承諾をいただき掲載をしております。
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