『復興に向かって』
モラロジー研究所理事長
廣池学園理事長
廣池幹堂
  四月の半ば、初めて東北の被災地に入って見たものは、想像をはるかに超える光景でした。仙台での学生時代を含めて何度か
訪れた三陸の港町は、瓦礫に覆われ、復旧さえままならない状況です。家の土台だけを残し、建屋も車も飲み込んだ津波の爪跡に、言葉を失いました。そんな中でも、家族や他の人を助けるため、わが身を犠牲にされた方が多くいたことに、驚くばかりです。
 その三陸に「津波てんでんこ」という言葉があることを知りました。「てんでんばらばら」を意味する「てんでんこ」から転じて、「大津波の際には人にかまわず一目散に逃げるべき」との教訓を示しています。目の前の厳しい現実に、納得せざるを得ませんでした。迷わずすぐにでも逃げなければ、自分の命が助からない。先人が感じた大津波の恐ろしさが、短い言葉から伝わってきます。
 陸前高田市のSさんはあの日、ご一家でこの津波の被害に遭われました。建設会社を経営するSさんは、社員に高台へ避難するように指示した後、ご自身はおそらくご両親を迎えにいかれたのでしょう、そのまま帰らぬ人となりました。別の現場にいた三十歳のご長男の足取りが分かったのは、ご遺体が発見された時でした。その身に地元の消防団の制服を纏っていたのです。地震発生後に現場から急いで自宅に戻り、消防団の努めを果たすべく、制服に着替えて、地域の避難誘導にあたられていたのでしょう。
 お悔やみに訪ねた先は、嫁ぎ先で難を逃れたご長女のお宅でした。祭壇には一枚の命名書が供えられています。震災から一か月後の四月十一日、Sさんが待ち望んでいた初孫に、ご長女は「未来に向かって歩め」との思いを込め、「歩未」(あゆみ)と名づけました。ご長女、ご主人ともに、失意の中にも終始にこやかに振る舞われ、訪れたわれわれを気づかわれ、感謝される姿にこちらが勇気をいただきました。
 全国から手弁当で集まったボランティアとともに、瓦礫の中で汗を流す被災者の方々。絶望の中から復興に向かって、力強く歩まれるその姿に、心を打たれました。
 歩未ちゃんが成人するまでに、再びあの美しい港町を取り戻し、「この日本に生まれてよかった」と思える国とする、その責任が、残された私たちにあることを感じずにはいられませんでした。
本稿は、公益財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(2011年7月号)誌に掲載されているものです。
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