| 日本と中国は今年、国交正常化から40年を迎えます。調印式の祝宴で、周恩来首相が田中角栄首相に料理を取り分ける場面は、日中友好の象徴として繰り返し放映されました。 日中はビジネスのみならず、スポーツや文化などあらゆる面で交流を深め、今や一衣帯水の隣国として、膨大な人と情報が両国間を往来しています。中国は地理的にも心理的にも「近くて近い国」になったと言われますが、政治外交面を見れば、今なお両国は「近くて遠い国」であり、その間には、乗り越えるべき深い溝が横たわっているように見えてなりません。 中国が何千年も続く封建専制政治から、近代国家へと生まれ変わるきっかけとなったのは、101年前に孫文が主導した辛亥革命です。胡錦濤国家主席は昨年10月、辛亥革命を「清朝の統治を覆し、数千年の君主制政治を終焉させ、民主共和の理念を広めた」ものと評価し、孫文を「偉大な民族英雄」と讃えました。(三潴正道(みつままさみち)・麗澤大学教授のレポートより)。 この辛亥革命が、日本人の貢献なくして実現しなかったという事実を、果たしてどれだけの日本人が知っているのでしょうか。孫文を支援した日本人は数多くいますが、その代表的人物の一人が梅屋庄吉です。 梅屋は滞在先の香港で孫文と出会って意気投合し「君は兵を挙げよ、われは財をもって支援する」と約し、映画ビジネスの成功で得た巨額の資金を革命に提供しました。その額は現在の貨幣価値で、一兆円を超えるといわれます。また宋慶齢との縁を結び、東京・新宿の自宅で二人の結婚披露宴を開きました。 梅屋は家族に「わしが孫文の革命に参加したのは孫文との約束だ。この一件は他言無用」と遺言したため、国交正常化の時、両国に梅屋の功績を知る人はほとんどいませんでした。その後、書簡などが公開されて真実が明るみとなり、中国政府も最近になってようやく、梅屋の功績を認めたのです。 辛亥革命から百年、両国のめざましい経済的繁栄は、日本人からその美徳を、中国人から礼節を失わせてしまったように見えます。孫文の遺言「革命いまだならず」を思う時、真の近代化と民主化への道のりの遠さを痛感します。それは日本の将来にも大きくかかわる問題です。中国の近代化に貢献した、多くの先人たちの遺志を無にしてはなりません。 本稿は、公益財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(2012年8月号)誌に掲載されているものです。 |