| 八月十五日、この日から日本の”戦後”は始まりました。 六十七年前のこの日、昭和天皇はラジオ放送を通じて全国民に対し、ポツダム宣言を受け入れ、三年八か月にわたる戦争を終結することを表明しました。「堪へ難きを堪へ、忍び難きを忍び、もって万世のために太平を開かむと欲す」という初めて耳にする玉音放送を国民は謹んで拝し、前線の日本軍は粛然と武 器を置き、戦いの矛を収めました。 戦いは勝者と敗者を分けます。しかし勝っ ても負けても、戦いが終われば、名誉を守り、信義に基づいた行動をとる。こうした日本の武士道精神は、世界でも稀な二百六十年にもわたる平和な時代、そして西欧列強を驚かせた明治以降の近代化の基盤ともなりました。 日露戦争で、旅順の攻防戦に勝利した日本がロシアと停戦条約を結んだ際、明治天皇の命を受けた乃木大将は、ステッセル将軍に帯剣を許したうえ、記者に調印写真を一枚しか撮らせず、敗者の名誉を守りました。この水師営の会見は歌にも歌われ、後々まで長く、日本人の心に刻まれることとなります。 明治天皇は、こうした武士道精神を含む、信義や誠実、仁慈、礼譲、剛勇といった日本人の美徳を、明治近代化における国民道徳の指針としてまとめるよう指示されました。それを受けて、当時の第一人者たちが議論と修正を重ね、完成したのが、わずか三百十五字の簡潔明快な「教育勅語」です。 日清・日露という二大戦役における日本の勝利は、世界にとって”想定外”でした。この奇跡的勝利によって、欧米列強は「父母に孝」「兄弟に友」「朋友相信じ」そして「義勇公に奉」ずるという教育勅語に注目し、その内容を高く評価しました。 戦後、日本を占領したGHQ(連合国軍総司令部)は、日本が再び白人国家の脅威とならぬよう、「教育勅語」を廃止させました。国民道徳のバックボーンを失った日本人は、まさに骨抜きとなりました。 明治天皇が崩御されてから百年目の今、日本は再び国難を迎えています。震災の瓦牒処理は一向に進まず、領土問題の先は見えません。いじめ問題では、大人たちの無責任な対応が相次いでいます。 明治の国難を救ったのは、優れた指導者のもと「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」て立ち上がった国民です。明治の先人たちは、今の日本をどう見ているのでしょうか。 本稿は、公益財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(2012年9月号)誌に掲載されているものです。 |