| 悲しいニュースが続く昨今ですが、中でもいじめによる自殺ほど、やりきれないものはありません。先日、ある学校の校長が、いじめで自殺した生徒の両親に「不慮の事故」として公表したい、と打診していたことが明らかになりました。滋賀県大津市の事件では、教育委員会のあまりに無責任な対応ぶりが大きな問題となりました。事実を正面から見据えようとしない、学校や教育委員会と、生徒や保護者を結ぶ信頼関係は崩れかかっています。 国の調査によると、この一年に自ら命を絶った児童生徒は200人もいます。そのうち原因が「いじめ」と報告されたのは4人だけ。約6割が「不明」というのです。いじめを見てみぬふりをして、問題をなかったことにしようとする大人たち。人の嫌がることを平気で行い、困っている人を助けず、いじめて死に追いやっても、なんとも思わない、「歪んだ心」を持った子供たち。いつから日本はこんな「歪んだ国」になってしまったのでしょうか。 テレビでは教育評論家を名乗る人たちが「いのちの大切さ」を訴えていますが、問題の本質を突いているようには思えません。 私たちが幼いころ、弱いものいじめをしたり、生き物をむやみに傷つけると、親にひどくしかられ、自分も痛い目に遭ったものです。「人の難儀を救え」「無作法なことはするな」「親のいいつけを守れ」。これは戦前の「修身」の授業で、当時の小学1、2年生が学んだ徳目です。 表現は古いですが、中味は21世紀の現代でも通用する当然の事柄ばかりです。親も教師もまさに「命がけ」で子供と向き合い、人間として「当たり前」のことを教え、育ててきたのです。しかし戦後、日本の学校や家庭では、人間の自由や平等、権利ばかりを子供たちに教えるようになりました。「当たり前」のことが「当たり前」に行われなくなったところに、今日の問題の核心があるように思えてなりません。 母親が「命がけ」で生み育ててくれた「尊いいのち」。それを守り育てるのは、われわれ社会の「命がけ」の覚悟ではないでしょうか。 本稿は、公益財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(2012年11月号)誌に掲載されているものです。 |