| 今から40年前、戦後復興を遂げて平和に酔いしれていた日本に、とんでもないニュースが飛び込んできました。終戦から30年、祖国のために戦いつづけた日本兵が、異国のジャングルで発見されたという一報でした。 その人、小野田寛郎(おのだひろお)さんは昭和19年12月、特殊任務を受けて、フィリピンのルパング島へ派遣されます。 「絶対に玉砕してはならない。3年でも5年でも頑張れ。必ず迎えに行く」上官にそう命じられ、以来30年、終戦を知らされないまま、密林を転々とするゲリラとして戦いつづけました。 時は流れて昭和49年3月、元上官がフィリピンに赴いて任務解除の命令を 伝え、小野田さんの「戦争」はようやく終わりました。 フィリピン軍に投降をした時、小野田さんは処刑される覚悟だったといいます。 投降式でマルコス大統領はこう言いました。「あなたは立派な軍人だ。私はこの国の大統領として、あなたの過去の行為のすべてを赦します」。フィリピンの軍楽隊が演奏する君が代に見送られ、小野田さんは帰還を果たしました。 30年ぶりの祖国は、思い描いた姿と大きく変わっていました。「戦争は誤り、悪いこと」という風潮で、政府から見舞金を受け取れば「もっともらったのでは」とささやかれる。全額を靖国神社に納めた小野田さんを、マスコミは「軍国主義の 亡霊」と非難しました。 「自分が命をかけなければ、日本の将来はない」。その信念で戦い抜いた小野田さんは戦後の日本に絶望し、翌年、次兄を追ってブラジルで牧場経営を始めますが、ほどなく日本で「小野田自然塾」を開き、国を思う心、生きる力を2万人の子供たちに伝えつづけました。小柄ながら凛とした姿勢、澄んだ瞳にすてきな笑顔。91歳のご生涯はまさに「不撓不屈(ふとうふくつ)」という言葉どおりの真の日本人、「最後のサムライ」でした。 小野田さんの言葉です。「私は靖国神社へは、すなおな気持ちで黙ってお参りしてほしいと願っています。何よりも人間の真心の問題だと思うからです」 日本は来年、終戦70年を迎えます。 時代は変わっても「靖国の英霊」に対する感謝の祈りだけは日本人の義務であるはずです。小野田さんのメッセージを国民一人ひとりが受け止めたいものです。 本稿は、公益財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(2014年8月号)誌に掲載されているものです。 |