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「今回ご帰国の途につかれる際にも、フィリピン国民の抱く敬愛の念と歓迎の心に再度ふれられ、前回にも勝るほどのよい思い出を携えていただきたい、これがわが国民一同の願いです」 ベニグノ・アキノ大統領は54年ぶりにフィリピンをご訪問された天皇・皇后両陛下を、自ら空港まで出迎えるなど、異例の待遇で歓迎しました。首都マニラの交差点や橋には横断幕が掲げられ、沿道では、多くのマニラ市民が日の丸の小旗を手に両陛下を熱狂的にお迎えしました。 今回のご訪問で両陛下は、先の戦争で犠牲となったフィリピン人戦没者を祀る「国立英雄墓地」を訪れ、無名戦士の墓に供花され、静かに黙祷を捧げられました。 日米最大の激戦地となり、110万人ともいわれる住民が命を落としたフィリピン。そんな歴史を背負った同国の国民は、日本の象徴である両陛下を、なぜこれほど熱狂的に歓迎したのでしょうか。 フィリピンはスペインの植民地から、米西戦争を経てアメリカの支配下に置かれました。アメリカは、はやくから対日戦に備えて現地に極東最大の空軍基地をおき、フィリピン人12万人に軍事訓練を施しました。 開戦後、日本軍が上陸すると、形勢不利とみたマッカーサーは、マニラを「オープンシティ」(無防備都市)と宣言し、部下を置き去りにしたまま、「アイシャルリターン」の言葉とともに、自分はいちはやくオーストラリアへ脱出しました。そのため日本軍のマニラ入城はほとんど抵抗なく、平和裏に行われたのです。 マッカーサーが戦地に戻ったのは戦争末期。すでに消耗著しい日本軍に対して、フィリピン全土を戦場にして不必要ともいえる戦いを始め、マニラを無差別に砲爆撃しました。巻き込まれた住民に多くの犠牲が出ました。 この戦いでたおれた日本人55万人は、英霊となり靖國神社に祀られています。 今回、両陛下は82歳のご高齢をおして、両国の戦没者を慰霊するため、遠くフィリピンを訪問されました。季節はめぐり、終戦後71回目の今年も、皇居近くにある靖國神社は、桜の春を迎えました。両陛下にご親拝いただくのは、いつの日になるのでしょうか。満開の下で英霊たちはその日を待ち焦がれているように思えてなりません。 本稿は、公益財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(2016年4月号)誌に掲載されているものです。 |