| 大阪で育ったTさんが満州へ渡ったのは、昭和二十年春のことでした。モラロジーに基づく会社経営に参加していた父親を頼って行ったものの、八月十五日に終戦。父親はシベリアに抑留され、十六歳のTさんはひとり取り残されました。進駐するソ連軍の理不尽な発砲、略奪、難民化する日本人……。 「社会生活未経験の私も筆舌に尽くせない、これらの日本人の苦難に巻き込まれ、どうして生き延びられたか、今もってわからない最低の日々でした」(Tさんの手記より) ある日、あてもなく、ふらふらと街を歩いていると、突然、見知らぬ人から声をかけられました。日本人居留民会が帰国、引き揚げの準備に入るので、手伝わないか。広い満州にいた百余万人の日本人の結集と移動、引き揚げ船の手配。想像を絶するような九か月を経て、昭和二十一年秋、Tさんは最後の船で帰国の途につきます。船中で国内の大変な状況を知り、「みんな大変なのだから、自分の苦労は一切言わない。これをスタートにしよう」と決意をしました。 大阪に戻ると、生き馬の目を抜く船場の繊維業界に身を置きながら、「両親に喜ばれる人を育てる」を貫いたO社長の薫陶を受け、後進の育成にも全力を注ぎました。 仕事100パーセント、モラロジーも100パーセントと精力的な日々を送るTさんに、さらなる試練が襲います。胃がんを患い、医師から「一刻の猶予もない」と宣告されました。「今、置かれている環境にいっさいをお任せしよう」と現状を受け入れ、闘病の心情と誓いを「感謝の記」として、日々綴りました。 定年後は、北海道の深川に構えた自宅を開放し、「自分の人生は自分で創る」をモットーに地域の青年を育て続けました。 高台から石狩川が見渡せる、ロッジ風のお宅を訪ねた時の思い出が、今も忘れられません。「地域一番仰の良い夫婦の会」を広められるだけあって、すてきな奥様との仲むつまじい姿に理想の夫婦像をみた思いがしました。 そんなTさんの突然の訃報が届いたのは昨秋のことでした。しかし、Tさんの熱い思いは、北の大地にしっかりと根づいています。これからも多くの若者たちの心のなかに生き続けていくでしょう。 本稿は、公益財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(2016年10月号)誌に掲載されているものです。 |