| 現代の日本の世相を見ていると、日本人の心の中から徐々に「正義」が失われ、「正義」を行う「勇気」もどこかに置いてきてしまったのではないか、と思われることがあります。 しかし、かっての日本人は違いました。正義と信念を貫くためには、自らの命を犠牲にすることも厭わない勇気を持ち、事実そのように行動した人たちがいたのです。1947年3月13日に、台南市の公園で公開銃殺刑に処された坂井徳章(台湾名「湯徳章」)弁護士は、まさに「正義と勇気の人」でした。 徳章は、日本人の父・坂井徳蔵と台湾人の母・湯玉との間に生まれました。熊本から台湾に渡って警察官となり、徳章が8歳のとき、暴動鎮圧中に命を落とした父徳蔵の跡を継ぎ、徳章も正義感の塊のような警察官になりました。やがて台湾人の人権確立こそ真の使命と自覚し、弁護士をめざして東京に移住します。猛勉強の末、当時最難関と言われた高等文官試験の司法科と行政科に見事合格。1943年に帰国して台南で法律事務所を開き、主に人権問題に取り組みます。 日本の敗戦後、国民党の統治によって台湾に地獄の日々が訪れました。不正を不正と思わない国民党軍の進駐で、社会は大混乱に陥ったのです。1947年2月28日、ついに台湾人の怒りが爆発して「2.28事件」が勃発。国民党軍による武力弾圧の危機を察した徳章は、台南の若者の暴発を抑えるために奔走しました。しかし当局は、徳章の父親が日本人というだけで、反乱の扇動者だと決めつけて有罪とし、苛烈な拷問の末に銃殺してしまいます。徳章はむしろ若者を助けるため、身を挺して無実の罪を被ったのです。まさに正義と勇気の行動であり、徳章のおかげで、台南市では、2.28事件の犠牲者が他の地域よりも大幅に少なかったそうです。 処刑の前、徳章は目隠しも縛ることも拒否します。そして「私には大和魂の血が流れている!」と日本語で、続けて「台湾人、万歳!」と台湾語で叫んだとのこと。現在、徳章が銃殺された公園は「湯徳章紀念公園」となり、命日は「正義と勇気の記念日」に定められています。徳章の大和魂とその叫びを、われわれ日本人こそ忘れてはならないでしょう。 (参考『汝、ふたつの故国に殉ず』門田隆将著、角川書店) 本稿は、公益財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(2017年4月号)誌に掲載されているものです。 |