| 義を見てせざるは勇なきなり_____。Kさん以上にこの言葉に似つかわしい人は、なかなか思い浮かびません。 大正9年に福島県で生まれたKさんは、大きな夢を抱いて満州へと渡り、青年実業家として成功を収めました。ところが敗戦後は中国人の態度が一変し、日本人宅への襲撃が始まります。現地で一生暮らすつもりだったKさんですが、「日本人にも中国人にも信頼が厚い人はほかにいない」と懇願され、64世帯を束ねる引揚げのリーダーになったのです。 命からがら、やっと佐世保港に上陸できるというとき、若い母親と1歳半の男の子が誤って船上から転落しました。誰もが茫然とする中でただ一人、海へ飛び込んだ勇気ある青年がKさんでした。奇跡的に助かった男の子は半世紀後、52歳にして、命の恩人であるKさんとの再会を果たしています。 焼け野原の東京にたどり着いた一家を待っていたのは、極貧の生活でした。お金も地盤も仕事もない。どうにかして金儲けをと悪戦苦闘していたとき、モラロジーの教えに出会いました。 「品性完成」という、お金より優先すべき人生の目的を悟ったKさんは「この教えによって人生を歩んだなら、前進はあっても後退はない」と確信するや、生き方を大きく変えられました。事業発展のかたわら、地域社会への貢献、さらには世の中の人々に「人生の指針」を伝える生涯教育、そして累代教育に力を尽くすKさんの隣には、いつもにこやかな奥さんの姿がありました。そして第二の故郷・満州に私財を投じ、列車事故が絶えなかった小学校前の線路に歩道橋を建設するなど、さまざまな貢献をしました。 義侠心の塊で、こうと決めたらテコでも動きません。あの石原都知事をして「怖いオヤジ」と言わしめたのも、Kさんならではのことです。世の中がそんな大人ばかりだったなら、日本社会はもっとよくなっていたはずです。誰よりも家族思いで、有言実行、勇気と信念で突き進む。生まれた土地こそ違っても、その生き方は、まさに「真の江戸っ子」でした。 昨年10月、富岡八幡宮で執り行われた盛大な葬儀は、Kさんの生涯にふさわしく、多くの人々であふれていました。 本稿は、公益財団法人モラロジー研究所出版部発刊の『れいろう』(2018年07月号)誌に掲載されているものです。 |